薩軍挙兵を回避する最後のチャンスに弥一郎はどう動いたのか。

 

【前回まで】私学校の暴発を警戒する大警視・川路利良は、中原尚雄ら21名の鹿児島出身者を鹿児島に送り込んだ。これを察知した私学校党のメンバーたちは中原らを捕縛。拷問の末、西郷暗殺計画の存在を信じるに至り、薩軍の蹶起は必至の情勢となる――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。

 

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 明治10年(1877)2月5日。

 この日、京都停車場(現在の京都駅)においては、京都~大阪~神戸を結ぶ鉄道の開通式が盛大に執り行われていた。式には天皇も臨席し、その傍らには工部卿の伊藤博文、海軍大輔の川村純義らの姿もあり、後に東海道本線となるこの鉄道敷設が明治政府にとって国家プロジェクトであることを窺わせた。

 だが華やかな式典の雰囲気と裏腹に、川村は「今、こうしている間にも鹿児島では……」と1人焦燥を募らせていた。その焦燥のもとは、式の前に受け取った内務卿・大久保利通からの1通の電報だった。

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source : 週刊文春 2025年7月17日号