驚くべき無策で薩軍は進む。海岸を守る弥一郎の前には“あの男”

 

【前回まで】戦争回避のラストチャンスだった西郷隆盛と川村純義海軍大輔の面会は実現しなかった。そして明治10年2月15日、薩軍は蹶起した。西郷の挙兵に一貫して反対し続けた弥一郎だったが、親友である桐野利秋の“殺し文句”でついに出軍を決める――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。

 

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 明治政府の中枢にとって、薩軍の蹶起は“既定路線”ではあった。

 明治10年(1877)2月7日、つまり薩軍が蹶起する8日前、内務卿の大久保利通が工部卿の伊藤博文に送った手紙がある。その中で大久保は私学校党による弾薬略奪についてこう書いている。

たとひ西郷不同意にて説諭を加ゆるにしても、到底此の度は破れに相違なく候につき、変に応ずるの手順相立て候義、最も肝要にこれ有り候(たとえ西郷が私学校党の狼藉を止めるべく説諭したとしても、彼らの“破れ(暴発)”は確実で、これに対応することが重要だ)〉

 薩軍の蹶起は〈相違なく〉と見ていた大久保にとって、問題は西郷の関与だった。「西郷がともに蹶起することはまずあるまい」というのが大久保の見立てだった。

 この手紙から5日後の12日、西郷説得のために鹿児島に向かったものの結局面会を果たせなかった海軍大輔の川村純義から、“もはや薩軍の蹶起は不可避”という一報が入る。

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source : 週刊文春 2025年7月24日号