八代口で奮闘する弥一郎を、ともに戦う隊士たちが記録していた。

【前回まで】驚くべき無策で熊本城を囲んだ薩軍は、ようやく「長囲策」へと方針を転換する。一方の政府軍は熊本城を囲む薩軍の背中を衝く「衝背軍」を黒田清隆の指揮の下八代方面から上陸させた。これに対応すべく八代口の指揮を任された弥一郎だったが――本連載は西南戦争で散った永山弥一郎の生涯を掘り起こす「同時進行歴史ノンフィクション」である。
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ここまで単に「薩軍」と書いてきたが、これを構成するのは薩摩人だけではない。蹶起に呼応して九州各地から駆け付けた士族によって編成された部隊も加わっている。例えば熊本士族による熊本隊や協同隊、薩摩藩の支藩である旧佐土原藩士による佐土原隊などで、彼らは「党薩諸隊」と称された。その総数は約1万8700人で、薩摩の本軍1万3000人よりも多い(『征西戦記稿』)。
彼らはこの戦争の「記録者」でもあった。というのも『薩南血涙史』や『西南記伝』といった薩摩本軍の史料には、出軍してからの西郷に関する記述は意外なほど少ない。ひとつには戦争中の西郷は軍務を桐野利秋や篠原国幹らに任せて、自身は滅多に表に姿を見せなかったからだ。また、その桐野や篠原も含めて、西郷の言動を残すべき側近が、みな戦死してしまったせいもある。
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source : 週刊文春 2025年7月31日号






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