秀吉の死後、顕在化しはじめた豊臣体制の危機。家康の第一手は、掟破りの「婚姻外交」だった。

 

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 秀吉亡きあとの豊臣政権で、実力ナンバー1が徳川家康であることは誰の目にも明らかでした。また将来、豊臣秀頼(ひでより)を擁立しようとする者にとって、家康こそが最大のリスクとなることも、同じくらい明白でした。

 晩年、衰えが目立ったとはいえ、そこに思いが至らない秀吉ではありません。家康を政権の重要人物として持ち上げながら、対抗しうる存在を立てました。それが(まえ)()利家(としいえ)です。

 秀吉の死後はじめて迎えた慶長4(1599)年の元旦は、まだ秀頼は伏見城にいました。このとき利家は秀頼を抱き、守役(後見人)として、諸大名の年賀の礼を受けています。

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source : 週刊文春 2025年10月2日号