「朝鮮出兵」が生みだした政権内部の深刻な“亀裂”は、秀吉の死後、政局に大きな影響を与えることに。

 

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 慶長3(1598)年8月18日、豊臣秀吉が京都の伏見城で亡くなったとき、二つの深刻な問題が残されていました。ひとつは後継者問題、もうひとつは朝鮮出兵です。そのうち、後継者問題に対処するべく、秀吉が五大老五奉行体制を敷いたことは前に述べました。今回は秀吉最大の失政ともいえる朝鮮出兵と、それが秀吉死後の政局に与えた影響を見ていきたいと思います。

無謀だった朝鮮出兵

 朝鮮出兵、いまでは学校でも「文禄・慶長の役」として教えているかもしれません。1回目が天正20(1592)年から翌年の文禄2年まで続いた「文禄の役」。講和交渉が決裂し、慶長2(1597)年から翌年、秀吉が死ぬまで続いた2回目が「慶長の役」です。

 秀吉がその無謀な戦いを起こした理由には諸説ありますが(秀吉の「老い」も、その有力なひとつでしょう)、前回も論じたように、秀吉政権の高コスト体質、つまり「新たに配分できる土地を海外に求めようとした」というものが、シンプルですが、説得力があるように思えます。

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source : 週刊文春 2025年9月25日号