前回も述べたように、慶長5(1600)年9月15日に行われた、いわゆる関ヶ原の合戦に連動して、日本の各地で戦闘が起き、「新しい天下」の形が決まっていきます。
たとえば、これまで触れる機会がありませんでしたが、前田利長も北陸で「関ヶ原」を戦っていました。もともと利長は会津征伐に加わり、越後(いまの新潟県)から会津に攻め込む予定でしたが、石田三成らのクーデターを受けて、東軍の一員として豊臣勢との戦いを開始します。
慶長5年7月26日、利長は2万の兵を率いて金沢を出発し、加賀の南端に位置する大聖寺城を包囲し、西軍についた城主、山口宗永を自害に追い込みます。続いて越前国(いまの福井県)へと入るのですが、なぜか反転して、金沢へと引き返したところを、8月8日、豊臣方の丹羽長重(丹羽長秀の長男)に背後から襲われました。世にいう「浅井畷の戦い」です。
利長は苦戦の末、丹羽軍を撃退し、なんとか金沢に戻りました。その後、9月11日になって、利長は再度金沢を出て、関ヶ原に向かいましたが、ついに合戦には間に合いませんでした。
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source : 週刊文春 2026年1月22日号






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