〈多くの皆様に愛されたことは、本人にとって最大の誇りであり幸せな一生であったと確信しております。故人に代わりまして、これまで温かく支えてくださった皆様に心より深く感謝申し上げます。〉

 6月2日、元プロボクサーでタレントのガッツ石松が永眠した。享年76。6月11日、所属事務所は公式インスタグラム上で、都内の病院で肺炎のため死去したことを、生前の厚誼への感謝の言葉と共に発表した。

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幼少期はイナゴを炒めて食べたことも

2013年撮影 ©文藝春秋

 1949年、栃木県で生まれたガッツは貧しい家庭で育った。

「父は身体が弱いこともあってあまり働けず、日雇いの土木作業員として働く母のわずかな収入だけで過ごした幼少期には、食うに困り、イナゴを炒めて食べたこともあったそうです。中学の時に白黒テレビで流れていたボクシング中継を見て、一念発起してプロボクサーを志した」(ボクシング関係者)

 中学卒業後、単身上京し、1966年に名門・ヨネクラジムに入門する。ボクシングライターの前田衷氏が語る。

「ガッツは入門7か月でプロテストに合格。プロデビュー戦こそ初回KO勝ちを収めましたが、最初は期待された選手ではなく、誰も世界王者になるなんて思いもしなかった。当時のライト級には門田新一やジャガー柿沢という名選手がいたからです。ところが、1970年1月に柿沢の世界戦の前哨戦でガッツが柿沢を破る番狂わせを起こし、その流れでガッツに世界王者への挑戦権が転がり込んだんです。ガッツの強運に後年、門田と柿沢は『俺たちはガッツに全部運を持ってかれてしまった』と慰めあった(その後、ガッツは世界ライト級王座に挑戦したが、パナマのイスマエル・ラグナに13回TKO負け)」

娘をリングに入れ…「今考えれば時代の先駆者」

WBCライト級タイトルマッチで入場する王者のガッツ石松 ©時事通信社

 縞の合羽に三度笠という「股旅スタイル」で一躍人気者になったガッツ。言動には粗野なイメージがつきまとうが、

「ガッツは貧しい家庭に育った背景もあり、『喧嘩ボクシング』のイメージがありますが、決して彼のボクシングスタイルはそうではありません。基本に忠実な『ボクサーファイター型』でジャブやフットワークを駆使する器用な選手でした。世界王者となるまでに11回負けていますが、それでもへこたれない“ガッツ”、つまりタフさも彼の最大の武器でしょう」(同前)

 70年、73年に世界挑戦を果たすが2度とも敗戦。3度目の正直となった74年4月11日に東京・日大講堂でメキシコ生まれのロドルフォ・ゴンザレスに挑んだ。現地で観戦していた前田氏が語る。

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source : 週刊文春