誰もが名前と顔を知っているけれど、誰もがその舞台を鑑賞したわけではない。歌舞伎俳優・市川團十郎が見せる“瞬間の芸術”がドキュメンタリー映画として初めてフィルムに焼き付けられた。タイトルは『襲名』。

十一代目市川海老蔵が十三代目市川團十郎白猿を襲名し、長男の堀越勸玄が八代目市川新之助として初舞台を踏んだのは2022年11月のこと。360年続く歌舞伎界の名門・市川家の襲名披露を一体何名の国民が目の当たりにできたのだろうか。9月25日、三池崇史監督が初めて挑んだドキュメンタリー映画『襲名』が公開される。市川家とはどんな存在で、團十郎とは誰なのか――それを解き明かした結果、9月2〜12日にイタリアで開催されるヴェネチア国際映画祭「アウト・オブ・コンペティション部門」の正式出品が決定した。
「『一命』『喰女-クイメ-』『無限の住人』――私が三池監督と映画作品でご一緒するのは本作が4作目となります。現場での無駄な会話はゼロでしたね。三池監督はまるで忍びのようで、今思えばどこにいたのかわからないくらい自然でした」
2019年の襲名発表からコロナ禍を経て、撮影は3年超に及んだ。
「三池監督にはいろんな情報を調べて頂きました。初代市川團十郎とのご縁で成田山新勝寺から“成田屋”という屋号を頂いていますので、私も10代の頃から3、4回成田山新勝寺で修行をしております。襲名前にもうかがい、護摩を焚くシーンが出てきますが、これは焚く前が本当に大変なのです。8時間かけて所作事をして、それを1日3回、しかも3〜4日続けて行うのです。そういう場面を撮っていて下さったことが印象に残りました。あとは、取材を受ける新之助が、『パパは市川團十郎白猿になる!』って騒いでいるシーン。あれは可愛かったな。團十郎になることの意味をまだ何もわかってないんだなと思って(笑)」

本作には、今は鬼籍に入った方の映像も収められている。
「妻の麻央の映像が出てくるのですが、あれはやっぱりちょっとグッときましたよね。新之助の初お目見得の時に楽屋で彼を抱っこしている普通の場面ですけど――我々夫婦の中では当時大変な葛藤がありました。そういう皆様がご存じないようなことまで思い出しました」
輝きを再現されているのは麻央さんばかりではない。
「襲名では市川家のお家芸・歌舞伎十八番から『勧進帳』の“弁慶”を演じましたが、映画のラストでは、私、父(十二代目團十郎)、そして祖父(十一代目)がそれぞれ弁慶として“共演”する演出になっているのです。映像の上とはいえ、十一代目と十二代目の共演は十二代目も考えたことなかっただろうから――父に見せたかったな」
9月には團十郎親子がヴェネチア国際映画祭に登壇する。
「映画鑑賞時は紋付袴を着るのかな。レッドカーペットでは衣裳と鬘をつけて歌舞伎の扮装で歩くことも考えています。私自身というより、歌舞伎を“世界”に売り込むために」
團十郎のイタリア訪問は数回目。10年6月にはローマで「義経千本桜」を演じている。
「麻央との新婚旅行もローマでした。今、麗禾(長女)が15歳だから、16年前ですね。ワールドカップ南アフリカ大会の開催中で、彼女とユニフォームを着てローマの街を走りました。それで、パブでサッカーを観たり、馬車に乗ったり、レストランではなぜか私がイタリア語で全部注文できて――いろんな想い出がありますね。今は英語を勉強したいので、今回新之助と一緒に注文する時は英語になると思いますが」

名跡を襲名して、間もなく4年。
「国内では古典や伝統を重視し、海外では柔軟に歌舞伎を紹介していきたいと思います。私がまだ公演していない場所は――イタリアのスカラ座、オーストラリアのオペラハウス、それから、エジプトのピラミッド前の野外ステージかな」
撮影 緒方秀美
ヘアメイク 松本 順 スタイリング 大久保篤志
いちかわだんじゅうろう 1977年12月6日生まれ。東京都出身。ドキュメンタリー映画『襲名』が9月25日に公開。10月3〜25日に「市川團十郎特別公演」(京都・南座)、11月6、7日に「市川團十郎 壇ノ浦歌舞伎」(山口県下関市)での公演を予定している
source : 週刊文春 2026年9月17日号
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