週刊文春 電子版

「『イスラム法』とは何か」|池上彰

池上彰のそこからですか!? 第491回

池上 彰
ニュース 社会 政治 国際

 タリバンが支配を復活させたアフガニスタン。かつてタリバン政権は、女性の就業を認めず、女子教育も禁止していました。今後も、同じような統治をするのではないかという不安が高まっています。

 すでに首都カブールでは、ショーウィンドーなどに描かれた女性の顔が塗りつぶされたりしています。タリバンが命じたというよりは、「タリバンによって命じられる前に処置しておこう」という動きだったりもするようですが。

 国営テレビの女性キャスターが出勤すると、「帰れ」と言われ、仕事ができなくなったという報告もあります。

 タリバンの広報担当者は、「女性は働けるのか?」「報道の自由はあるのか?」といった海外の報道陣の質問に対し、「イスラムの教えの範囲内で」「イスラム法のもとで」という限定的な回答を繰り返しています。

 これではどこまでの自由があるのか、はっきりしませんね。では、そもそも「イスラム法」とは、どんなものなのでしょうか。「イスラム法」は、「シャリーア」といいます。

 基礎的なことから言えば、主権者の違いです。私たちの民主主義社会では、主権者は国民です。日本国憲法の前文には「ここに主権が国民に存することを宣言し……」と明記されています。主権者である国民の代表が議会で法律を作ります。

 これに対して「イスラム法」では、主権者は神(アッラー)なのです。この世界を創造した唯一絶対の神が全てを決めています。すべては神の思し召しによって動きます。

 では、主権者である神が制定した法律とは何か。それは『コーラン』(クルアーンとも)なのです。いまから1400年以上前のアラビア半島でムハンマドに対し、神が伝えたとされる言葉を後世になってまとめた聖典が『コーラン』です。ここには、人間たちが守るべき教えが書かれています。これが、主権者である神が人間たちに与えた法律なのです。

 ただ、『コーラン』は、お祈りの仕方や時間、食べていいもの悪いもの、戦争の仕方などが詳細に書かれているとはいえ、人間たちの行動全体をカバーするものにはなっていません。そこで登場するのが『ハディース』です。これは、神の言葉を聞いたとされる預言者ムハンマドの言行録です。ムハンマドの言動を聞いたとされる人たちが言い伝えてきた膨大な内容が集大成されています。自分たちがどのような行動をとることが正しいのかわからないときには、『ハディース』の中に書かれているムハンマドの言行(スンナ)を参考にします。

 というのも、ムハンマドは預言者。人間ですが、神によって選ばれた存在で、神の言葉を預かったとされています。それなら、もしムハンマドが神の道を外れるようなことがあれば、神が必ず正したに違いないと信者たちは考えます。したがって、ムハンマドの言動は全て正しいという理解になります。ムハンマドの言行も、大事な法律です。

極端なイスラム理解のタリバン

 いまでも厳格なイスラム統治を維持しているサウジアラビアでは、統治基本法に、「憲法はコーランとスンナである」と明記されています。一見して統治基本法が憲法のように見えますが、さらに上が存在するのです。

 たとえばイスラム世界の女性たちは、髪をスカーフやヒジャブで隠したり、体全体をチャドルで覆ったり、顔も見えないようにするブルカを着たりしています。女性たちがこうした服装をするのは、『コーラン』の次の記述がもとになっています。

「女の信仰者にも言っておやり、慎みぶかく目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう」(井筒俊彦訳『コーラン 中』)

 この表現ですと、「外部に出ている部分」以外は隠さなければなりませんが、これがどこまでの部分かは、それぞれの地域によって解釈が異なり、その結果、女性たちはさまざまな服装をすることになります。

 また、ムハンマドはあごひげを伸ばしていたとされるため、タリバンの男たちはあごひげを生やしているのです。20年前にタリバンが政権を失うまでは、アフガニスタンの男たちにあごひげを生やすように強制したという話もあります。

 でも、『コーラン』もスンナも1400年以上前のもの。その後に発生したさまざまな事態にどう行動すればいいか具体的な内容は盛り込まれていません。そこで、具体的に判断を迫られるような事態が発生したときには、イスラム法学者たちが集まって、どうすべきかの合意を形成します。これが「イジュマー」です。

 さらに、全く新しい事態が発生したときには、『コーラン』とスンナから類推します。これが「キヤース」です。

 たとえばサウジアラビアでは、かつてテレビの放送を認めるべきかどうかをめぐって論争になったことがあります。イスラム教では偶像崇拝が禁止されていますので、テレビに人間が映ると、これは偶像になるのではないかという議論があったのです。結果、テレビに映る人間は偶像ではないという結論になり、無事にテレビ放送が可能になりました。

 かつてのタリバン政権では、毎週金曜日に公開処刑が行われていました。死刑執行は首を切り落とすのです。また、窃盗犯に対する罰は手の切断でした。

 このような刑罰は、現代から見れば苛酷ですが、イスラム法を適用しようとする者たちにとっては、『コーラン』やスンナに書かれていることだから、「神がお認めになっている」ということになります。

 果たしてタリバンは、1400年以上も前に定められた法体系を、現代に適用するのでしょうか。
 

イラストレーション 3rdeye

source : 週刊文春 2021年9月9日号

文春リークス
閉じる