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「9・11から20年を振り返る」|池上彰

池上彰のそこからですか!? 第492回

池上 彰
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 まもなく9月11日がやってきます。20年前のこの日、反米テロ組織アルカイダのメンバー19人によって乗っ取られた4機の航空機が、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントンの国防総省の建物などに突っ込み、多数の死者を出しました。これが同時多発テロです。

 これに怒った当時のジョージ・W・ブッシュ大統領(息子)は「テロとの戦い」を標榜して、アフガニスタンを攻撃。さらにイラク攻撃へと戦線を拡大し、米軍に多大の犠牲者を出しました。いったんはアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させながらも、その後の処理に失敗。タリバンは生き延びました。

 いったい何が悪かったのか。結果論にはなりますが、アメリカの失敗を振り返ってみましょう。

 同時多発テロが起きる前、CIA(中央情報局)の各地の支局から、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンがアメリカに対する大規模なテロを計画しているという情報が寄せられていました。もちろん日時や攻撃対象などは不明でしたが、事前に取っておくべき対策があったことが、事件後になってわかります。

 たとえば、ハイジャックされた飛行機の乗客名簿を確認したところ、アルカイダのメンバーだと判明している2人が搭乗していたことがわかりました。CIAが把握していた情報がFBI(連邦捜査局)に送られていながら、その後の対策が取られていなかったのです。そのうちの一人は、CIAがFBIに情報を送った後でアメリカに入国していました。FBIが直ちに全国の入国管理のコンピューターシステムに「入国を拒否すべき人物」として登録していれば、入国を防げたのです。また、全国の航空会社に対し、「搭乗を拒否すべき人物」として通告しておけば、少なくとも1機の航空機はハイジャックされないで済んだでしょう(スティーブ・コール著、笠井亮平訳『シークレット・ウォーズ』による)。

 次に、事件後の対応について。ブッシュ大統領は、ニューヨークの世界貿易センタービルの倒壊現場に赴いたのち、「テロとの戦い」を宣言します。ここまでは問題ありませんが、このとき大統領は、「これからは十字軍の戦いだ」と口走ったのです。ブッシュ大統領は、熱心なキリスト教徒として「十字軍」にプラスのイメージを持っていたのかも知れませんが、十字軍が過去に何をしたのか、歴史を知っていれば、こんな発言は出て来なかったはずです。十字軍は、キリスト教徒が「聖地エルサレム奪回」を叫んでエルサレムを攻撃した出来事でした。多数のイスラム教徒を虐殺しています。イスラム教徒にとって十字軍とは、「キリスト教徒による一方的な攻撃」だったのです。

 ブッシュ発言は、イスラム過激派にとっては願ってもない言葉でした。「テロとの戦い」として米軍がイスラム過激派を攻撃しようとすると、過激派は「十字軍による攻撃だ」と宣伝できるようになりました。キリスト教社会とイスラム教社会の分断につながったのです。

現地を知っていれば……

 テロの前からCIAは、ビンラディンがアフガニスタンのタリバンの庇護下にいることを把握していました。ビンラディンは強硬な反米主義者だったことから、サウジアラビアの国王によって国籍を剥奪され、国外追放になっていました。CIAは、この段階からビンラディンを追跡。ビンラディンがスーダンに入国すると、スーダン政府に圧力をかけ、ビンラディンを国外追放に追い込んでいます。その後、ビンラディンはアフガニスタンにタリバンを頼って入国していたのです。

 その結果、同時多発テロが起きると、直ちにビンラディンの仕業と判断。報告を受けたブッシュ大統領は、タリバン政権にビンラディンの引き渡しを求めました。

 ところがタリバンは要求を拒否。ブッシュ大統領は、「テロリストも、テロリストを匿う者も同罪だ」と宣言してアフガニスタンを攻撃。タリバン政権を崩壊させたのです。

 このとき、もっとアフガニスタンの実情を知っていれば、と思います。タリバンの主力はパシュトゥン人でした。パシュトゥン人には「パシュトゥンの掟」が存在するのです。これは、「もし誰かが助けを求めてきたら、客人として温かく迎え入れ、命をかけても助けなければならない」というものです。

 タリバンにとってビンラディンは客人でした。アメリカがただ「引き渡せ」と要求したところで、やすやすと認めるはずはなかったのです。ここは、「パシュトゥンの掟」を尊重しつつ、「ビンラディンは客人ではない。国際的なお尋ね者だ。『コーラン』に、ユダヤ教徒やキリスト教徒も同じ啓典の民として大事にしろと書いてあるではないか。無差別テロを引き起こしたビンラディンはイスラムの教えに反する犯罪者だ。イスラムの教えに反する者を匿ってはいけない」と説得する手はなかったのかと思ってしまいます。

 当時のタリバンは、アフガニスタン国内のことしか知らず、米軍の強さを知らなかった節があります。アメリカが攻撃前に軍事力を見せつけ、タリバンの妥協を引き出す。この手も試してみて良かったのではないかと思ってしまいます。

 では、タリバン政権が崩壊した後は、どうすれば良かったのか。鍵を握っていたのはパキスタンでした。アフガニスタンとの国境沿いのパキスタンに住むのもパシュトゥン人。タリバンがパキスタンに逃げ込むと、彼らがタリバンを匿ったのです。ビンラディンもパキスタン領内に潜伏していました。パキスタン政府にもっと圧力をかけ、タリバンを匿わないようにできなかったものかと思ってしまいます。いずれにしても他国の政治に介入して都合のいい政権を作るのは限界があるのです。アフガニスタンに民主政権を作り出すという発想自体が、アメリカの思い上がりだったと言えるでしょう。
 

イラストレーション 3rdeye

source : 週刊文春 2021年9月16日号

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