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「コーネリアス」にも「渋谷系」にも興味がない私が小山田圭吾にインタビューした理由

検証ルポ「小山田圭吾事件」 #1

中原 一歩
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小山田氏との「約束の日」

 小糠雨の降る寒い夏の午後だった。

 9月某日。約束の場所に時間ちょうどに現れたその男は、大きく深呼吸をした後、取材陣に軽く一瞥をくれ、私の対面のソファーに腰をかけた。よほど緊張していたのだろう。唇は乾いていて震えていた。

「小山田です」

 その第一声はか細く沈んでいて、とても「渋谷系の王子様」と呼ばれていた頃の勢いはなかった。小山田圭吾氏(52)。ソロユニット「コーネリアス」として活動するミュージシャンである。

 この日、私は小山田氏に2時間にわたるインタビューを行った。その内容は、「週刊文春」9月23日号(電子版は15日配信)に掲載された。

 あらかじめ断っておくが、実は私は「コーネリアス」というアーティストにも「渋谷系」と呼ばれる音楽ジャンルにも全く興味がなかった。その私がなぜ小山田圭吾氏にインタビューしようと思ったのか。それは、小山田氏をめぐる騒動がSNSで拡散していく過程に「違和感」を覚えたからである。

 時計の針を7月16日まで巻き戻す。この日、東京五輪組織委員会は、数日後に始まる同開会式の作曲担当に、小山田氏を抜擢したことを明らかにした。

 ところが、その直後SNSに小山田氏の過去に関するある疑惑が流れた。ある雑誌インタビューで、小山田氏本人が「障がい者をいじめていた」という過去を告白しているというものだった。

【ロッキング・オン・ジャパン1994年1月号 小山田圭吾、生い立ちを語る20000字インタヴュー】
「でも、いじめた方だと言っていたじゃん」
「うん、いじめていた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうキツイことしていたよ」
「やっちゃいけないことも」
「うん、人の道に反していること。だって、もうほんとうに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコ食わしたりさ、ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
「(大笑)」

「ロッキング・オン・ジャパン」

 

【クイック・ジャパン1995年8月号 村上清のいじめ紀行】
 小学校の転校初日にウンコした「沢田君(仮名)」という、いじめられっ子の2人のうちの1人、文中小山田氏は「もういきなり(言語障害っぽい口調で)サワダです」とか言って、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか」と書いている。その沢田という人物に関して中学時代のエピソード。

「段ボール箱とかがあって、んな中にサワダと入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)。『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと『ダイジョウブ…』とか言ってるの。そこに黒板消しとかで『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって」

 高校時代、同じサワダに対してのエピソード。

「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ。(中略)。小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)。女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして」

 いじめ紀行の中では「沢田」とは別のエピソードも披露されている。

「みんなでそいつにプロレス技(ブレーンバスター)なんかかけちゃって。(中略)。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入ちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいつなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって」

「クイック・ジャパン」

 これらを額面通りに受け取れば犯罪である。被害者やその家族などから告訴されても仕方がない蛮行だ。今から30年以上前の出来事とはいえ、決して許されることではない。後日、障がい者団体も抗議声明を出している。

 翌日、小山田氏は謝罪文を発表。こう弁解した。

「過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受けとめている」

なぜ世間は許さなかったのか?

 それでも世間は許さなかった。なぜならば、小山田氏が音楽担当を「続投する」と明言したからだ。これを伝えるネットニュースの書き込み欄には「小山田許すまじ」のコメントで埋め尽くされた。結局、小山田氏は開会式の作曲担当を辞任。その後、次々と自身がオープニングなど作曲を手がけたテレビ番組が放送を中止。出演予定だった音楽イベントもキャンセル。小山田氏は表舞台から忽然と姿を消した。

小山田氏の音楽抜きで開会式は行われた

 なぜバッシングは燃え上がったのか。私は小山田氏がNHK教育テレビジョン「Eテレ」の看板番組「デザインあ」で活躍していたことも批判に拍車をかけたのだと直感した。

 その番組に音楽担当として関わっていた小山田氏は、「社会に貢献する善い人」の代名詞のような存在だった。だから、「障がい者イジメ」という絶対に容認できるはずもない過去の悪行とギャップが、よりこの問題を先鋭化させたのだ。そして何よりも、この騒動が社会問題と化したタイミングが緊急事態宣言発令中であり、東京五輪の開幕直前であったということは否めない。

 一夜にして世間の「敵」と認定された小山田氏へのバッシングは常軌を逸していた。私のインタビューに対し、当時を振り返る小山田氏の表情は、いかにも苦しそうだった。声を振り絞り「これまで味わったことのない恐怖感があった」「事務所に家族への誹謗中傷、殺害予告も届いた」「まともな精神状態ではいられず、7キロ痩せた」と告白した。

 確かに「叩かれても仕方がない」内容だった。

 私が気になったのは、五輪の作曲担当を辞任する直後に出した謝罪文の中に「(SNSで拡散している情報の中には)一部事実とは違う部分がある」とあったからだ。そうであるならば、「何が事実で何が虚偽なのか」「なぜ20年以上も放置してきたのか」「なぜ雑誌に抗議しなかったのか」という疑問を率直に聞いてみたかった。

 私は世間の小山田氏バッシングが始まった直後すぐ、この騒動の背景を調べるべく、発端となった雑誌記事を取り寄せることにした。そして、小山田氏が辞任するまでの過程を調べてゆくうちに、あることに気がついた。それは、ある「まとめサイト」がSNSで拡散され、それが端緒となって、この問題が社会全体に広まっていった、ということだった。私は「小山田氏本人へのインタビューができないか」と改めて思った。そして、これを企画として取り上げてくれる編集部がないか、知り合いの編集者とコンタクトを取り始めたのだった。

(#2に続く)

source : 週刊文春

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