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愛子さま「思春期の葛藤」ダイエットと母離れの先に…

友納 尚子
ニュース 皇室

 成年皇族となられ、国民の祝福に笑顔を見せられた愛子さま。だが、皇族としての自覚が芽生える過程で様々な葛藤を抱えられていく。不規則登校、母子の距離、周囲の視線――。試練に挑み続けたプリンセスの姿を振り返る。

 12月5日、天皇家の長女、愛子内親王殿下は、ティアラと勲章を身につけた白のローブデコルテの正装姿で成年の行事に臨まれた。

正装姿で行事に臨んだ愛子さま

 ただ、愛子さまが20歳になるまで歩まれてきた道は決して平坦ではなかった。

 2014年4月、愛子さまは学習院女子中等科に進学された。入学式の朝、正門で待ち受けていた報道陣に、これから始まる中学校生活について問われると、

「楽しみにしています」

 と元気よく応えられた。それを聞いた記者たちは色めき立った。実はこれが、公式な場所で初めて聞いた、愛子さまの肉声だったのだ。

「これまでの聞き取れないほどの小さな声とは違って、実に堂々とご挨拶をなさったので驚きました。幼少期は決して豊かなご表情とはいえませんでしたが、この日は笑顔も見られ、希望に満ち溢れている様子でした」(宮内庁詰め記者)

 愛子さまの両側で見守られていた皇太子同妃両殿下(当時・以下同)も、終始笑顔だった。

 中学校生活が始まると、愛子さまは初等科からの内部生と、中学受験で入ってきた外部生が交ざるクラスで、新しい環境に馴染もうと努力なさっていた。部活動はなさらず、授業の予習復習や量が多い宿題に取り組まれる日々だった。

 ところが2カ月を過ぎた6月17日、愛子さまは初めて学校をご欠席される。以降、遅刻や欠席、午後からの登校が目立つようになっていった。

 小町恭士東宮大夫(当時)は理由について、「新しい環境でお疲れが出たのでは」と説明した。だが、そうした状態が年末まで続いたため、メディアは「初等科時代の不規則登校の再発か」「雅子さまの“夜型”の生活リズムの影響があるのでは」などと報じた。

 実際には何が起きていたのか。元東宮職が明かす。

「宮さま(愛子さま)は、外部生のしっかりした言動や、すでに中学の範囲まで進んでいる学力に、ご自身との差をお感じになったのではないかといわれました。科目の中でも特に進んでいた数学と理科で追いつこうと必死に勉強されていた。宮さまにとって皇族というのは、勉学でも手本とならなくてはという理想がおありだったのかもしれません。単なる『中等科生』ではなく『皇族の中等科生』となるため、頑張り過ぎていらっしゃるようで、身体がついていかないご様子でした」

 ご成長とともに、皇族として見られるご自覚が徐々に芽生え始めていたのだ。

 この頃は帰宅後におやつを召し上がってから、夕食までに宿題を済まされるのが日課だった。だが、宿題の多さから時間内に終わらなかったり、疲れて仮眠をとられたりもしたため、夕食が夜遅くになることも。その後、深夜まで机に向かわれる、受験生のようなスケジュールだったという。

 一方、療養に入られて11年目の雅子妃は当時、決してご体調が良いとは言えなかった。「今できることをする」というスタンスで、公務や愛子さまのお弁当作りをされる中、不規則登校はご心配の種となっていた。

「ただ、今回の問題は、愛子さまの皇族としての本格的な目覚めでもあることから、『見守ることしかできない』とお話しになっていました」(元東宮関係者)

 それでも朝、学校に行くように起こしたり、時には怒ったり諭したりと、一般の母親と同じように向き合われていたという。

「愛子さまの思春期ならではの反抗に嘆くこともあり、『この気持ちはお母さまでもわからないでしょ』と言われて、殿下に助け舟をお願いしたこともあったそうです」(同前)

 そんな中、両殿下は愛子さまと7月に昭和天皇、香淳皇后の陵がある武蔵陵墓地と伊勢神宮をお参りされた。愛子さまにとって初の伊勢参拝となったが、秋篠宮家のお子様方よりかなり時期が遅かったことにメディアの目は注がれた。ただ、それには理由があった。

「殿下は愛子さまが持たれた皇族としての意識を、自らの体験によって定着させ、更に関心を広げることに繋げてほしいと願われていたようです。重要なのは早期教育だけではなく、愛子さまが皇室の行事に関心を示されるタイミングだとお考えでした」(殿下のご学友)

 同年12月1日、愛子さまは13歳の誕生日を迎えられた。スキーや富士急ハイランドなどに、ご学友とプライベートでお出かけになる姿も見られるようになった1年でもあった。

 両殿下は、愛子さまがその日の出来事を嬉しそうにお話しされたり、お友だちを思いやったりするご様子を見て、頼もしく感じられていたという。

天皇陛下と雅子皇后陛下

 初等科時代には雅子さまが登下校に付き添われたこともあり、「母子密着」と批判を浴びることもあった。だが、この頃から愛子さまは次第に“母離れ”を見せられるようになる。

 雅子妃にとってこの年は、オランダ国王夫妻を招いた宮中晩餐会に実に11年ぶりに臨まれ、翌年の外国訪問も期待されていた。

「雅子さまは、愛子さまから『もう一人で大丈夫だから。今度はお母さまが外国訪問に行けるように私が支える』と言われたそうです。普段は雑誌などを読まれない愛子さまですが、たまたま携帯電話のニュースで両殿下の子育てを疑問視する内容を目にされ、心を痛められたといいます。これ以上、母親に負担を掛けたくないという娘心もあったのではないでしょうか」(東宮関係者)

「食べなさい」「食べない」

 翌15年7月、雅子妃は皇太子殿下と国王トゥポウ六世の戴冠式に出席されるためトンガに赴かれた。この外国訪問が雅子妃のⅤ字回復の大きな契機となる。帰国された両殿下を穏やかな笑顔で迎えた愛子さまは、「大人のような雰囲気だった」と皇室担当記者が振り返る。

2015年、トンガから帰国したご夫妻を愛子さまが出迎える

 中等科2年生になられた愛子さまは、さらなる試練に立ち向かわれる。夏に沼津游泳場(静岡県)で行われた、学習院の伝統行事「沼津臨海学校」に自ら希望して参加された。

 実は愛子さまは水泳が苦手とされ、初等科6年生の頃に泳がれたのはわずか500メートル。今回は自分への挑戦だった。毎日、沖合にまで出て練習を重ねられ、最終日前日には遠泳が行われた。愛子さまはお友だちと励まし合いながら、上級者コースの3キロを泳ぎ切られた。

 真っ黒に日焼けされた愛子さまは達成感に包まれ、クラスメイトと寝食を共にされた時間が何よりの思い出になったという。

 苦難に負けずに努力で乗り越える大切さを学んだ愛子さまは、大きな自信を持たれたようだ。

 中等科3年生になってからも、精力的な活動を続けられた。両殿下と神武天皇陵と京都御所をご訪問され、長野県での「山の日」を記念した全国大会の初の式典にもご臨席された。

 皇太子ご一家の活動が広がれば、メディアへの露出も増える。幾分ほっそりとされた愛子さまの映像を見て、クラスメイトは「痩せてきれいになったね」「この前着ていたワンピースがとても似合っていた」と声をかけた。さらに御所を訪ねて来た人たちに容姿を褒められる機会も多くなった。

 折しも先年、秋篠宮佳子内親王殿下が成年皇族になられ、その美しさが報じられていた。愛子さまは幼い頃からメディアに囲まれていたが、雅子妃への批判もあり、その見られ方は決して好意的なものばかりではなかった。報道陣を含めた大人たちの心の動きに敏感だったといわれる愛子さまは、写真や映像を通じて周りから賞賛されることを初めて知ったという。

 そして――、愛子さまはダイエットを始められるのだ。当初は、ランニングをされたり、食事の量を減らすなどの軽いものだったが、徐々に炭水化物を抜き、魚や肉などのおかずを少し召し上がるものの、白米やパンなどの主食はほとんど口にしなくなった。

 夏を過ぎた9月頃には胃腸の調子を崩し、ふらつきが見られるまでに。やがて脱水症状や倦怠感なども現れてきたことから、学校を休まれるようになった。

 東宮御所の自宅では、雅子妃との「食べなさい」「食べない」の押し問答が続いたという。愛子さまは徐々に喉越しの良い蕎麦や豆腐といったものを召し上がるようになるが、体調は安定しなかった。

 冬になると、今度は反対に食べたくても量が食べられなくなられたという。3学期の頃は最も痩せられていたが、学校には少しずつ登校できるまでに回復されてきた。見た目よりはお元気なご様子で、それ以上深刻化することはなかった。

 外見を気にされるようになったのは、皇族として見られる自覚の芽生えとともに、思春期ならではの乙女心もあったのではないか。

 一方、この頃から愛子さまは、「戦争と平和」に対する意識の高さを見せられるようになった。

 中等科の卒業記念文集では「世界の平和を願って」という作文を寄せられた。

 3年生の5月に修学旅行で訪れた広島市の原爆ドームを前に〈私は、突然足が動かなくなった〉〈これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった〉。

 原爆が何十万人の命を奪ったことには〈怒りと悲しみを覚えた〉として、〈日常の世界の一つひとつ(中略)に感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか〉と綴られた。

 続けて〈唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから〉と力強い思いが表現されていた。

 後に日本人女性初の国連事務次長に就任した中満泉さんが、今の両陛下から懇談に招かれた際、戦争の記憶を次世代に継承する必要性が話題となった。そこで雅子皇后は作文のコピーを中満さんに手渡されたのだ。

 そして17年、学習院高等科に進まれた愛子さまに、皇太子は「若いうちに国際感覚を身につけていってもらいたい」と望まれた。

 実際に愛子さまは、学校のサマープログラムで英国のイートン校へ短期留学をされた。ロンドンでは同級生と学生寮に滞在され、英語の授業や英国文化の体験授業を受け、近郊の各都市も巡られた。愛子さまにとって、3週間の留学体験は得難いご経験になった。

 卒業式の日、愛子さまはお友だちと学習院の校舎に向かって、「ありがとうございました」と声を揃え、深々とお辞儀をなさったという。東宮御所に戻られた愛子さまは、両陛下に「きちんと学校にお礼を言ってきました」と伝えられた。両陛下は愛子さまを学習院に通わせて、本当に良かったと思われたという。

学習院女子中等科の卒業式にご家族で出席

 中等科の頃から成績はトップクラスだと言われた愛子さまは、大学の進学先が注目を集めたが、結局は学習院大学文学部日本語日本文学科を選ばれた。学習院が好きだったことと、たとえ皇室を離れても、専門分野の継続した研究を続けられるのではないかという思いから決められたそうだ。

 現在2年生の愛子さまは、コロナ禍で大学には一回しか通われていないが、オンライン授業と課題のレポートに追われる日々だという。宮内庁の職員でも愛子さまのお姿はあまり見ないようで、それだけに成年皇族となられた際のご成長ぶりに、驚いた職員もいたほどだった。宮内庁侍従次長も会見で「皇后陛下に似て来られた」と述べている。

 天皇家の長女として生まれたことを誇りに思っておられるという愛子さま。成年行事に際し「全ての経験が、今、私の財産となっています。今日に至るまで私の歩みに関わってくださった全ての方に深く感謝いたします」と感想を綴られた。

 これから成年皇族としてどのように歩まれるか、愛子さまの自然なお姿に国民の期待は高まっている。

(とものうなおこ 1961年生まれ。新聞、雑誌記者を経て独立。皇室問題について長期取材を続けており、「文藝春秋」「週刊文春」などで執筆。著書に「雅子妃 悲運と中傷の中で」「皇后雅子さま物語」(いずれも文藝春秋)など。)

source : 週刊文春 2021年12月16日号

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