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大阪放火犯61歳「暗黒の履歴」 元妻への執着と「心中癖」

《「お母さんを苦しめる」長男の頭を包丁で…》《実家はアパート経営》《手紙に「家族を道連れに」》

「週刊文春」編集部

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 日本有数の繁華街、北新地のビルが黒煙に包まれた。30分で火は消し止められたが、25人もの命が奪われる惨劇。ガソリンを撒き、火を付けた男は逃げることなく、炎に包まれた。一体、何が彼を犯行へ駆り立てたのか。

板金工場で勤務していた頃の谷本

 日焼けした浅黒い肌に、薄汚れた作業服。いつも決まった風体の男が大阪・北新地の堂島北ビル4階にある心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」に頻繁に姿を見せるようになったのは、2019年頃のこと。その男には、他の患者にはない特徴があった。当時、クリニックで働いていた元スタッフが証言する。

「いつもお酒の臭いを漂わせているので、600人いる患者さんの中でも記憶に残っています。普通の患者さんは診察券を診察券ボックスに入れてくれるんですが、あの人はホンマに雑。酔っ払っているからなのか、目の前のカウンターに診察券をバーンと置き、そのまま椅子に座ってしまうんです」

 折しも同年7月、36人もの命を奪った京都アニメーションの放火事件が発生。クリニックを訪れていた男は“心中”の欲望を、人知れず育んでいった――。

 火の手があがったのは、12月17日午前10時15分。炎はフロアを瞬く間に包み込み、窓からは黒煙が噴き出し、27人が心肺停止で救急搬送された。

ビルの窓は焼け焦げて黒く変色

 間もなく被疑者として浮上したのは、クリニックの患者で、大阪市西淀川区の住宅に住む無職の谷本盛雄(61)。火災から遡ること30分前、谷本はもう一件の放火事件を起こしていた。

「当日朝、谷本は自宅の2階部分に火を付けた後、自転車で30分かけて北新地を目指した。クリニックに到着すると、ガソリンの入った紙袋を暖房器具の近くで蹴り倒して火をつけた。自ら起こした火災により大火傷を負い、重度の気道熱傷で現在も重篤な状態。防犯カメラには火を付けた後、出入り口をふさぐように立っていた映像も残されていた」(社会部記者)

自宅も燃やしたと見られる

 21日現在、クリニック院長の西澤弘太郎医師(49)、患者など25人の死亡が確認されている。

 西澤医師の知人で、発達障害者への就労支援サービスを行う株式会社Kaienの鈴木慶太代表が言う。

「西澤さんは大義を振りかざすことはなく、悩みを抱えながら働いている患者さんへの共感を強く持っていた。働いている人が仕事帰りに通えるクリニックを作りたいという思いで、夜10時まで開院していました」

 来院する患者は後を絶たなかった。前出の元スタッフが明かす。

「火曜と金曜はカウンセラーが患者さんに講義をしたり、患者さん同士でディスカッションする復職支援のプログラム『リワークプログラム』が行われます。火災のあった金曜日は特に混み合い、狭いフロアに20〜30人が密集していました」

必死の救助活動が続いた

 患者は多い日で1日約150人。混雑時の診療時間は一人2、3分だった。

「『薬変えましょうか』『分量増やしましょうか』と、パッパッと診察する。物腰も柔らかくて優しい先生でした。長時間、親身に話を聞いてもらいたい患者の中には、不満を持つ人もいたかもしれません」(同前)

 多忙を極める西澤医師は、日帰りで有馬温泉に行くのが趣味だったという。今年10月頃には、内科医である父に、こんな悩みを打ち明けていた。

「コロナ禍で『ハローワークに出すと給付金が出るから診断書を書いてほしい』という患者が沢山来る。インターネットを見ると『このクリニックに行けば、診断書を出してくれる』と書き込まれているようなんや」

 父は「そういう患者は断るべき」と助言したが、トラブルの相手の名前など具体的な相談はなかった。西澤医師の妻は小誌の取材に声を絞り出すように答えた。

次々と献花をする人が訪れた

「谷本はいつも孤独やった」

「谷本という患者の名前は聞いたことがありません。警察からも情報がなく、本当に何が起こったのか、一切わからないんです……」

 谷本はなぜクリニックに狙いを定め、“心中”を図ったのか。彼の履歴を紐解くと、一人の女性への強い“執着”が浮かび上がる。

 1960年3月、谷本は大阪市此花区で板金工場を営む家庭に、4人きょうだいの次男として生まれた。

「親父さんは板金工場を立ち上げ、えらい儲かって、土地をいくつも買ったらしいわ。長男が親父さんの会社を継いだ」(一家の知人)

 小学校時代の谷本はそろばん教室に通い、青白い痩せ型の少年だったという。中学の同級生が回想する。

「谷本は目立たず、いつも孤独やった。うちのクラスは仲が良くて、13人ほどの仲間で遊んだりしていたけど、その中に谷本はいなかったわ。昼飯でみんなが食堂に行くときも、谷本は来なかったんや」

 少年時代の居場所は、家業の板金工場だった。

此花中学時代の谷本

「中学卒業後の15、6歳の頃、たまたま俺の親がうちの煙突工事を谷本の親父に頼んだことがあった。彼は見習いで荷物運びだったけど、その頃から家業を手伝っていた。『おぅ、同級生やないかい』なんて挨拶すると、歯茎を見せてニコニコ笑っていた」(別の同級生)

 地元の高校を卒業後、屋根や壁の工事を行う板金工として腕を磨いた。谷本の7歳上の長兄が振り返る。

「一緒にうちで働いていた頃、腕は良かった。だけども、一人でやるタイプかな。あんまり言うこときかへんな。上のもんと一緒にやるとかは苦手やった。ただ仕事はしっかりやっとった」

 20代前半、怪我で大阪市内の病院に入院していた際、同年代の看護師と恋に落ちる。大恋愛の末に結婚し、妻は間もなく長男、時を置かずに次男を出産した。

 27歳の頃、一国一城の主となる。87年4月、約1200万円のローンで西淀川区内に3階建ての新築を購入したのだ。床面積60平米の家で暮らす家族4人は、周囲には幸せな家族像に映った。谷本の長男の同級生が証言する。

「幼稚園の時、ときどき家に遊びに行き、2階のリビングで遊んだ思い出があります。お父さんはいつも仕事でいなくて、夕方、近所で会うと『おかえり』と笑顔で挨拶をしてくれる、いいおじちゃんだった」

 最初の転機となったのは、父の死だった。功成り名遂げた父が62歳で亡くなったのは、90年11月のこと。当時父が経営していた文化住宅と実家の相続を巡り、きょうだい間でトラブルが起こったという。

「財産分与したのは、親の文化(住宅)。それを弟が『くれ』言ったんや。なんでかいうと、その家賃収入が7万か8万あんねん。『ほんなら判子押すんやったらやる』言うたんやけど、結局、弟は大事な判子は押さへんかった」(前出・長兄)

 父の死後、谷本は酒が入ると鬱憤の捌け口を家庭内、とりわけ妻に向けるようになっていった。長兄はある光景を鮮明に覚えている。

「盛雄が夜中に酒を飲んで嫁さんと喧嘩して暴れた。それで嫁さんから『喧嘩してるから来てくれー』と電話があった」

 家に行き、仲裁に入ったところ、妻から「お前の教育が悪い」と泣きながら言われたのだという。同様の喧嘩は、しばしば起こった。

「親父が亡くなってちょっと経ってから弟とは会わなくなり、もう30年くらい会っていなかった」(同前)

 きょうだいとの関係を断った谷本は、若い頃から技術に磨きをかけてきた板金工の世界へと、のめり込む。

社長が危惧した短気な性格

 02年3月、「職人募集」の広告を見た谷本は、大阪市内の板金工場の戸を叩く。谷本の持つ資格は建築板金技能士一級。同社の社長は、「仕事がないからやらせてくれ」と言う谷本を時給1000円で雇い入れたが、その仕事ぶりに目を剥いた。

「あれだけの職人はなかなかいない。建築板金技能士の一級を取るのは難しい。次の給料払うときには『1000円じゃ申し訳ない』ということで、職人並みの日当1万2000円をあげた。正社員に昇格させたのは雇って約2カ月後。彼の手掛けたものは一目見て『これは谷本だな』と分かるくらい、ずば抜けて綺麗だった」(社長)

 一方、社長が危惧したのは、谷本の短気な性格と社交性の欠如だった。

「谷本は何か指摘されると『最初そういうふうに言ってなかったやろ』って感じで、ついカッとなるところがあった。例えば、屋根の樋をつけるとき『継ぎ目は右から左に流れるようにせなあかんで』って注意したら、『はよ言ってくれれば良かったのに』と。寡黙な男で、周囲ともプライベートでの付き合いは無い。趣味の話は、競馬くらいのものやった」(同前)

 08年7月、谷本は突然「他にやりたいことあるから辞めさせてくれ」と話し、退職を申し出る。実はその頃、飲酒などにまつわる妻とのトラブルが頻発していた。そして結局、同年9月に離婚。ここから谷本の人生は、一気に暗転していく。

 約1年後の09年8月、谷本はふたたび板金工場をふらりと訪れた。

「やっぱり社長、うまくいかんで、もう1回使ってくれへんか」

 そう頼み込む谷本を、社長は一も二もなく迎え入れた。だが、それも長くは続かなかった。原因は元妻への“執着”だ。

「奥さんへの未練があって『復縁の話はしたけど、受け付けてくれなかった』と悩んでいたんや。当時は週6日、朝7時半に西淀川から車で出勤していたけど、ズル休みも多くなって。最初の頃は直前に電話入れてきて欠勤を伝えてきたけど、徐々に何にも言わないで休み、『すいません』の一言だけ。そのうちぱったり来なくなった」(前出・社長)

 板金工場から忽然と姿を消した谷本は、貯蓄を競馬につぎ込み、自堕落な生活を送るようになった。

 そして遂に、身勝手な願望が頭をもたげ始める。

「ひとりで死ぬのは怖い。自殺するときは、元妻に迷惑をかけている長男を道連れにしたる。ついでに元妻も次男も道連れや」

 元妻をも巻き込んだ“心中”の願望を実行すべく行動したのは、11年4月のことだ。捜査関係者が語る。

「同月24日、長男に誘われて元妻、次男を交えて4人で映画鑑賞をした。一度自宅に帰った谷本は、同日昼間に買っておいた文化包丁と出刃包丁をバッグに詰め、翌日深夜1時に元妻の自宅に向かったのです」

 寿司を頬張った後、谷本は長男と近所の居酒屋に行き、朝方まで飲酒。元妻の自宅に戻った谷本が帰り支度を始めたのは、朝6時過ぎ。見送りに来た長男の頭に、バッグから取り出した出刃包丁を振り向きざまに力一杯振り下ろしたのだ。

「長男に抵抗され、殺害を諦めて自転車で逃走。通報から1時間半後に殺人未遂容疑で逮捕された。包丁の他、スタンガンやハンマーも持ち込んでいた」(同前)

税金滞納で差し押さえも

 逮捕後、「家族全員を道連れに殺すつもりだった」旨を記した手紙を元妻に送っている。裁判では身勝手な犯行だったと批難され、懲役4年の判決が下った。

 近所の飲食店店主が事件当日の様子を振り返る。

「谷本さんの家のドアが少し開き、廊下にまで血がべっとり流れて固まっていた。母親は近所で顔を見せなくなり、長男はそれ以来見ていません」

 出所後、谷本は大阪府内の更生保護施設を経て、大阪市内の賃貸アパートに転居する。そして19年頃から頻繁に、西澤医師の心療内科に通うようになった。

心療内科の院内(病院HPより)

「クリニックはアルコール依存症、薬物依存症の方はお断りしています。だから最初はアルコール依存症で診療に来たわけではないはず。徐々に依存するようになっていったのかもしれません」(前出・元スタッフ)

 11月、税金滞納で相続した文化住宅が差し押さえられ、ようやく支払いが済んだのは今年11月18日。その頃、谷本が訪れたのは、家族と過ごした思い出の地だった。希望に満ちた27歳の頃に建てた白壁は30余年の歳月で鈍色に変色し、褪せた煉瓦屋根が冷たい冬の日差しを浴びていた。家に舞い戻った谷本の心身も荒み果てていた。そこに家族の残り香はない。再び“心中”を実行する日を見据え、犯行準備を進めた。

「谷本は住宅近くのガソリンスタンドで『バイクに使う』などと嘘を言い、ガソリン10リットルを購入。また事件前日、クリニックの非常口を訪れ、外側から粘着テープを目張りのように貼るなど、用意周到に準備を進めたことが分かっている」(前出・捜査関係者)

犯行直前、ビルに向かう谷本

 谷本の家には「消火栓をどうすべきか。隙間をなんとかしなければ」と、手書きのメモが残されていた。準備を終えた谷本は12月17日朝、自転車に跨り、死の淵を目指して一心不乱にペダルを漕ぎ続けた――。

 火災で命を奪われた豊中市の安川重裕さん(34)は、岐阜県の中学校の教員として採用され、昨年4月から約1年間、羽島市の中学校に勤務していた。行きつけの飲食店オーナーが語る。

「コロナ禍もあり、新しい慣れない職場でストレスが溜まり、今年5月に大阪に帰ってきた。クリニックに通いながら、今後は非常勤講師や塾の講師として勤務しようと思っていた矢先の出来事だった。最後にお店に来たのは12月3日。お店の9周年の日でした」

 当日に撮影された2枚の写真には、友人たちとじゃれ合い、破顔する安川さんの姿が収められていた。

 能勢町の岸加奈恵さん(30)は二人姉妹の姉だった。

「左目の手術をして目が不自由になったとき、加奈恵ちゃんが駅まで一緒に連れて行ってくれたことがあります。本当に優しい子やった。ええ婿さんを探してあげようと思っていたのに……」(近隣住民)

 谷本のあまりに身勝手な行動に27人が巻き込まれ、多くが命を落とした。谷本の自宅には、京アニ事件に関する記事の切り抜きが残されていたという。

消防車、はしご車など計約80台が出動

source : 週刊文春 2021年12月30日・2022年1月6日号

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