盛大に開かれた引退会見。だが、妻と8歳、6歳の娘は会見を知らされていなかった。昨年11月、「別居します」とLINEで告げられ、弁護士の名刺が写真で送られてきた。家に帰ると、内村の愛用品は消え…。
昨年11月19日、その女性は食事が喉を通らなくなり、体重が33キロ台まで落ちていた。医師の診断は「摂食障害」。身体の限界を感じ、2人の娘と共に自らの実家へと帰った。
その10日後の11月29日、夫から突如、LINEで送られてきたのは、
〈離婚の意思は変わらないのでとりあえず別居します〉
とのメッセージ。さらに、
〈今後のこととか何か用事があるようだったら写メの人に連絡してください〉
と、弁護士の名刺も写真で添えられていた。
驚いた彼女は〈子どものこともあるから話し合いたい〉と返信したが、いつまでも「既読」にならない。
約1カ月後の12月26日、女性が娘を連れて自宅に戻ると、タバコの吸い殻が放置され、飲みかけのコーヒーにはカビが生えていた。いつも使う服や靴、体操関係の愛用品は消えていたが、その他の私物は残されたまま。玄関には、定期的に届く飲み物の段ボールがそのまま置かれていた。
寂しさを埋めるように、父の匂いが染み付いたシャツを抱きしめる次女。長女は父の不在を悲しみ、静かに泣くのだった。
前日はクリスマス。姿を消した父から娘たちへのプレゼントは、無かった。

義母から「航平の子ですか」
1月14日、品川の「東京マリオットホテル」で盛大な引退会見に臨んだ内村航平(33)。五輪では個人総合2連覇を含む金メダル3個、銀メダル4個を獲得し、“体操界のキング”の名をほしいままにしてきた。17年には復興相の委嘱で復興応援大使に就任するなど、公的な活動も重ねている。
報道陣から後輩への提言を問われると、こう語った。
「体操だけうまくてもダメだよってことは伝えたい。人間性が伴っていないと」

だが、引退会見の存在を知らされていなかった人物がいる。会見で一度も言及されなかった妻・千穂さん(32)と2人の娘だ――。
内村が日体大体操部で1学年下の千穂さんと結婚したのは、12年11月のことだった。その3カ月前に行われたロンドン五輪では、個人総合で金メダルを獲得。日本を代表するアスリートへと上り詰めていた。

かたや千穂さんも、全日本学生選手権で3位になった実力の持ち主。内村は結婚直後、妻の妊娠を公表し、〈妻を慈しみながら大切に時間を過ごしています〉とのコメントを出した。
「すると、千穂さんが別の女性から内村君を奪ったという記事が出たのです。内村君を狙っていた千穂さんが友人に飲み会をセッティングしてもらった、と。でも、実際は違う。11年3月、内村君の卒業式で彼から千穂さんに『一緒に写真を撮ろう』と声をかけてきました。その時までは互いの連絡先すら知らない状態だった。その後、内村君が『元カノとは2年前に別れた』と伝え、11年9月頃に交際がスタート。第1子を授かり、結婚が決まったのです」(日体大関係者)
身重だった千穂さんの元には、記事の影響で中傷の手紙などが届くこともあった。ただ、千穂さんの頭を悩ませていた問題はそれだけではない。内村の母・周子さんとの“嫁姑”関係だ。
「お下げ髪がトレードマークの元体操選手で、長崎の実家では夫婦で体操教室を開いています。“名物ママ”としてテレビで取り上げられる機会も多い。15年11月に、バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に出演。一時は息子の髪の毛や爪をコレクションしていたと明かし、子離れに失敗した母と紹介されていました」(体操関係者)

妊娠当時、その周子さんから、こう聞かれたという。
「本当に航平の子ですか」
思わず絶句した千穂さん。以前から「何かあったら俺が守るよ」と優しい言葉をかけていた夫は、母の言葉に怒ることはなかった。
13年4月に第1子となる長女が誕生。12月に2人はハワイで結婚式を挙げたが、そこにも周子さんの意向が反映されていた。
「場所を決めたのは周子さんでした。結婚式の1カ月ほど前に、突然『ハワイで挙げるから』と言われ、内容も全て決められた。千穂は日本で友人を招いて式を挙げたかったのですが、それは叶わず、ドレスだけは何とか自分で選んだそうです」(千穂さんの知人)
こういう時、内村は常に「我関せず」という態度だったという。それでも、千穂さんは親しい友人たちにこう漏らしていた。
「周子さんとの関係は大変だけど、私が我慢すればいいこと。航ちゃんはちょっと冷たいけど、なるべく体操に専念できる環境を作ってあげたいから……」
15年3月には、第2子となる次女も誕生した。翌16年8月のリオ五輪で個人総合2連覇を達成。同年12月、コナミを退社し、史上初のプロ体操選手へと転向する。同じ時期に設立したのが、千穂さんが代表を務める個人会社だ。それによって、周子さんとの間で燻っていた“もう一つの懸案”も解決する。

「収入の問題です。実は結婚後も、コナミ社員としての給与などが振り込まれる内村の口座は周子さんが管理していました。千穂さんは当初、それを知らされていなかった。教育費など普通に暮らすにもお金はかかる上、家計の状況も把握する必要がある。周子さんは抵抗していましたが、最終的に夫妻の個人会社で口座を管理することになったのです」(コナミ関係者)
これを機に、“嫁姑”は一定の距離を置くことになる。そして、夫と2人の娘と共に4年後の東京五輪を見据えることになった。
ところが――。
17年4月、千穂さんの身体に異変が起きる。
「内村君の大会の応援を終えた千穂さんは家に帰ると、突如、目眩や体の震え、吐き気などに襲われたのです。すでにベッドで寝ていた内村君に『救急車を呼ぶかもしれない』と伝えましたが、彼は『ん』と相槌を打つだけ。救急車を呼ぶと大ごとになってしまうと考えた彼女は両親に助けを求め、翌朝病院に行くことになりました」(内村夫妻の知人)

MRIやレントゲン撮影、胃カメラなどあらゆる精密検査を行なったものの、異常は見られなかった。千穂さんは定期的に婦人科や内科に通うようになるが、一進一退の状況が続く。ただ内村の大会が近づくと、不調を覚えることから、会場で周子さんらと顔を合わせることへの負担が原因と考えるようになったという。
怪我をしないようにとお守りを
20年3月下旬、東京五輪の延期が決定。千穂さんは、3カ月後の6月頃から今度は心療内科へと通い始める。抗不安薬を処方され、毎日服用するようになった。千穂さんは通院について内村に報告していたが、彼から返ってきたのは、
「理解できない。自分の脳のことなんだからコントロールしろよ」
という言葉だった。
「千穂さんが『先生の話一緒に聞いてほしい』と何度伝えても、内村君からは『行ったところで何も理解できないよ』と言われるだけ。彼はメンタルが強いから、本当に彼女の苦悩がわからないのかもしれません。千穂さんは言葉少なに『夫から見放されたようだった』と漏らしていました」(前出・夫妻の知人)
それでも娘の育児に追われる傍ら、最後の大舞台に臨む夫を支えようと、妻として、元体操選手としてできることを考えてきた。
食事については、コナミやナショナルトレーニングセンターで練習していた際には、食べて帰ってくることが多かった内村。休日は千穂さんが「娘と一緒に食べられるように」と、煮込みハンバーグや野菜スープなどの手料理を作っていたという。ところが、出てきた料理を見た内村は、
「ウーバー頼んだから」
そう一言だけ告げ、自分の分だけピザや牛丼を頼むことも少なくなかった。
千穂さんは友人たちに、
「作った料理を前に出前って、本当に悲しいよ……」
とこぼしていたという。
「千穂さんが試合前に神社に足を運び、『怪我をしませんように』とお守りを買ってきたことがありました。怪我だけは避けて欲しいと祈っていたのですが、内村君からは『そんなもの信じていないから』と冷たく言われたそうです。そうしたことが重なり、彼女は孤独感を募らせていきました」(前出・夫妻の知人)
2人の娘には、どうだったのか。メディアでは「上の子は話しかけてくるし、下の子は怪獣みたいに寄ってきます」と語り、“イクメン”とも報じられたが、
「家ではソファーに座って、ニンテンドースイッチやポケモンGOとかで遊ぶか、スマホで動画を見ることが大半。娘たちが遊んで欲しくて声をかけても『邪魔』と言うか、無視するだけで、公園に連れて行くようなこともありませんでした。娘たちはパパが大好きなんですが……。千穂さんも『体操が第一』と分かっています。『僅かでもパパらしく相手をしてくれれば』と嘆いていました」(同前)
そして、1年の延期を経て、昨年7月に迎えた東京五輪。内村は種目別鉄棒に絞って出場したが、結果はまさかの予選落ち。「体操するのはもういいかな」とのコメントを残した。

「珍しく弱気な姿に、千穂さんは『航ちゃんらしくない』と伝えていた。内村君も『そうだよね』と。その頃は、引退についてもまだ考えていない様子だったそうです」(前出・体操関係者)
昨年10月24日の世界選手権(鉄棒)も6位で終えた内村。その裏で、千穂さんに起きていたのが、周子さんとの“事件”だ。
「千穂さんはできる限り、周子さんらとの接触を避けようとしてきましたが、体操の試合は、育児に無関心な夫と娘を結びつける唯一の場。この日も娘と会場で応援していた。ところが夜10時頃、周子さんらと外で出くわしたのです。久しぶりに内村君の父親から挨拶され、千穂さんの母親が代わりに挨拶をしました。すると周子さんから、娘もいるのに、大声で『なんで返事しないの!』と怒鳴られた。彼女は言葉を返せなかったといいます」(同前)
自宅に帰宅した千穂さんは内村に事の顛末を説明した。だが、「その場に居なかったからわからない」と突き放されるだけだった。
逆に、内村からはこう怒られたという。
「どうして『お疲れ様』のLINEがなかったの。引退を考えていたことくらい見てればわかるでしょ」
千穂さんは、
「えっ……ごめんなさい」
と返すほかなかった。
「千穂さんには、周子さんの言葉があまりにショックで、内村君への連絡を返せなかったんです。ただ、彼も千穂さんに感謝の言葉をかけたことがない。これまで彼女は、内村君のファンから時折かけられる『ご家族の支えあってこそですね』という言葉を救いにやってきたほどです。そんな中で出た夫の冷たい言葉に、彼女は『私だけが悪いの……』と泣いていました」(前出・夫妻の知人)
「どこに居るかわからない」
それから約3週間、同じ家の中であっても、夫は妻を避けるように、妻の姿を見ると別室に移動した。
「航ちゃんの方から話してくれるのを待ってるね」
千穂さんはそう伝えたが、内村から再び話しかけることはなかった。口を利いてくれなくなったことにショックを感じた彼女は、体調を崩していく。
身長150センチで体重40キロと、もともと細身の千穂さん。さらに激ヤセし、一時は33キロ台にまで減らしたのだった。
冒頭の場面に戻ろう。
昨年11月19日、千穂さんからのSOSを受けた彼女の両親は内村の自宅に到着。目にしたのは、寝たきりの千穂さんに寄り添う2人の娘の姿だった。
「娘たちは自らご飯をよそい、味噌をつけて食べていた。千穂さんの母親が『なんでパパに言わなかったの?』と聞くと、『パパはやってくれない』と答えたといいます。実家に連れて行った後も、6歳の次女が千穂さんを心配して、ビー玉くらいの小さいおにぎりをこしらえ、ちょっとだけ味噌をつけて口元に運んであげていたそうです」(前出・千穂さんの知人)
11月25日、体調が少し回復した千穂さんを一旦自宅に帰そうと、彼女の母は内村に連絡を取ったが、
「話をしたり、ああしたらよかったと考える時期はもう過ぎちゃったので」
と伝えられたという。
そして4日後の29日、千穂さんに、内村から〈離婚の意思は変わらない〉とのLINEが届くのだが、
「それまで離婚の話題が出たこともなければ話し合いをしたこともなかった。にもかかわらず、一方的に離婚を告げられ、家に戻ると“もぬけの殻”。千穂さんは途方に暮れています」(前出・夫妻の知人)
内村の母方の祖母は、小誌の取材にこう明かす。
「元日に航平が周子と一緒にうちに来たんです。頂き物の桃饅頭と家でついたお餅を『子どもに』と持たせてあげたのですが……」
だが、その桃饅頭とお餅が、普段会えないひ孫2人に届くことはなかった。
“体操界のキング”に浮上した「モラハラ離婚」トラブル。当事者たちはどう受け止めているのか。
千穂さんを直撃した。
――離婚を告げられた?
「……離婚の話は出ています。でも彼が今どこに居るのかすらわかりません」
――モラハラを受けた?
「……はい、私はそう受け止めていますが、あとは夫に聞いて頂けますか」
一方、内村の母・周子さんに質問状を送ったところ、
「その件に関しては『お答えしないでいいよ』と事務所の方に言われました。誰が言ったんですか? とっても面白いですね(笑)」
では、当の内村本人はどう答えるのか。マネジメント事務所に事実関係の確認を求めたが、期日までに回答は得られなかった。
「美しい体操」で世界一を守り続け、「人間性」の大切さを訴えた内村。最も傍に居たはずの、妻と娘を守ることはできなかった。

source : 週刊文春 2022年1月27日号