※前編(「ガン細胞はない」1年間放置された東関の身体は病魔に蝕まれていた)から読む
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在宅医療の担当医も決まり、東関が一時退院したのは、年が明けた19年1月下旬のことだ。そこからは自宅療養を続けながら、週1回の抗ガン剤治療に通院する日々が始まった。しばらくは東関の体調も安定。親子3人は自宅で濃密な時間を過ごした。
娘が迎えた初めての誕生日。東関の提案で、プレゼントは大きな「ミッフィー」のバルーン遊具に決めた。
「1歳になった娘は、ずっとパパのいるベッドのそばにいました。ご飯も毎日一緒に食べて。ハイハイだった娘がやがてよちよち歩きになると、夫は『一緒に散歩に行きたいな』と言っていました」(真充さん)
闘病のかたわら、東関は約10人いた弟子たちの指導にも、全力で取り組んだ。体調のよい日は、2階のベッドから酸素吸入のチューブを延伸し、1階の稽古場まで降りて、力士たちの鍛練を見守った。
本場所中は、弟子たちの取組映像を確認。東京場所では取組後の挨拶に来た弟子に直接助言をし、地方場所は、電話やメールでアドバイスを送り続けた。審判部の親方として現場復帰することも、闘病の強いモチベーションになっていた。
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source : 週刊文春 電子版オリジナル