「最初に麻耶さんの動画を観た時、何が起こっているのか俄かに理解できませんでした。あれから1カ月、私は悪者にされても構いませんが、子供たちや家族を深く愛し、清らかに生きてきた麻央の尊厳がこれ以上傷つけられることは耐えられない。騒動が大きくなるにつれ、無関係の方の家にまでマスコミが訪れ、ご迷惑をかけました。事実と異なる情報も錯綜しています。もちろん、墓場まで持っていくつもりだったこともたくさんありますが――」
4月中旬、都内のカフェに姿を見せた歌舞伎役者・市川海老蔵(44)。重い口を開き、意を決したようにそう語り出すのだった。


事の発端は3月21日、小林麻耶(42)が夫で整体師の國光吟(あきら)氏(38)のYouTube動画に登場したことだ。妹の麻央(享年34)が夫・海老蔵との関係に悩み、「死にたいよ」と漏らしていたなどと暴露。以降も麻耶がブログで〈許さない〉と批判を重ねる一方、当の海老蔵は沈黙を貫いてきた。

果たして、彼女の主張は本当なのか。小誌はこれまでも海老蔵側に事実確認を求めてきたが、回答は無かった。その後も取材を重ねたところ、本人自らが答えるという。海老蔵が語る。
「取材依頼をもらってから、ずっと躊躇(ためら)っていたのは確かです。でも、公演関係者にも相談して決断しました。子供たちやお義母さんのためにも、ここで終わりにしなくてはいけない。全てをお話しすることにします」
ブログで麻耶が訴えてきたのは、海老蔵を巡る様々な問題だ。彼女が最初のYouTube動画で明かしたのは、麻央の病室で競馬に興じていたとする点だった。
――病室で競馬をした?
「面会時間外でもほぼ毎日、見舞いに訪れていたのですが……、闘病が2年以上に及び、どうしても深刻な雰囲気になることもありました。あえて『元気になったらハワイに行こう』と言ったり、時には競馬新聞を見ながら、麻央に『何番が来ると思う?』と話しかけたこともあります。それが余計な気遣いだったのかもしれません。二人は仲の良い姉妹でしたから、麻耶さんが不快に感じたのなら本当に申し訳なく思っています」

麻耶は海老蔵の治療方針についても、ブログで繰り返し批判している。
「アレが無ければ麻央は…」
〈次から次から次から次への民間療法も海老蔵にやらされた〉
実際、海老蔵が「気功」による治療に頼り、手術などの標準治療が遅れたと報じられたこともあった。
「これまで話してきませんでしたが、標準治療を全て拒否したことはありません。皆様が思っているよりも早い段階で手術と抗がん剤治療は行っています」
麻央の乳がん発覚は2014年10月。長男・勸玄(かんげん)君はまだ1歳7カ月だった。
「14年2月、健康診断に訪れた病院で胸のしこりを指摘されました。すぐに別の病院を受診したら、『がんではないであろう。授乳の影響も疑われる。経過観察しましょう』と。半年後の8月に再検査するように言われましたが、忙しくて10月になってしまった。そこで乳がんが見つかったのです。告知された時は目の前が真っ暗になった。結婚直後、麻央と京都を訪れ、自転車で川沿いを走ったことがあります。『老後は二人で京都に住みたいね』と話していたのですが……」
治療方針は麻央の両親とも話し合ったという。
「告知された直後、抗がん剤治療と手術を受けることになりました。ところが、その前日、歯科医の先生の勧めで親知らずを抜歯してしまった。これで2週間ほど抗がん剤が投与できないと言われたんです。アレが無ければ麻央は違った。本当に違った……」
実は、この“空白の2週間”で、治療に関わってきた人物がいた。
「麻央から、同級生の内縁に当たる方を紹介されました。その方が施す自然治療を試してみたい、と」
つまり、民間療法は海老蔵の勧めではなく、麻央の希望を尊重したのだという。
――その方が気功師?
「分かりませんが、気功師……そうかもしれない。施術は横になった麻央に手を添え、『自然の力を呼び覚ます』と。それでがんが治るとは考えられませんが、彼は『病気を治してきた』と実績を色々言う。麻央の希望でもあったし、お義母さんとも相談して、藁にも縋(すが)る思いで『試してみよう』と。その後、同時並行で、化学療法や最先端治療、樹状細胞・幹細胞を用いた治療も試しました。セカンドオピニオン専門の病院を一日4、5軒回ったり、海外で治療したこともあった。最後まで治ると信じてあらゆる手を尽くしていたんです」

ただ、麻耶は、この気功師について「詐欺師」と断じている。16年2月に行われた海老蔵の中東公演を巡り、麻耶は気功師に9000万円を貸したと主張。麻央と母が貸した分も合わせた計3億7000万円が、一切返金されていないという。
――その気功師が、なぜ中東公演に関わった?
「私も正直、よく分からないんです。ただ、『海外公演がありますが、やりますか?』と持ち込まれることはよくある話。中東公演には現地の王族の方も出席されたほか、日本人のお客様にも来て頂いた。通常の事業だと思います」
――金銭トラブルは?
「麻耶さんが9000万円を払っていたのは今回、初めて知りました。麻耶さんとその方が直接やり取りされていて二人のことは分かりません。ただ、私も少なくない金額を支払っています」
――中東公演の対価?
「いや、民間療法のお金だと思っています。私も過去、肺に影があると言われ、彼に見てもらいました。麻央と私の二人分。その一部が中東公演に使われたかどうかは本当に分かりません」
――あまりに高額だが。
「麻央のこともあって、気持ちも色々不安定な状況でした。とにかく『お金を払って治るのなら』と。でも、結局、中東公演では私の出演料や経費も支払ってもらえなかった。現時点では詐欺ではなく、支払い能力が無くなったのが実情だと思います。ただ、今は連絡が途絶えてしまいました」

「おかえり、」ブログの真意
17年6月、この世を去った麻央。亡き妹に代わり、母と共に海老蔵の自宅に泊まり込み、麗禾(れいか)ちゃんと勸玄君の育児を手伝っていたのが、麻耶だった。だが彼女のブログによれば、この頃、〈あまりの恐怖〉を感じる出来事が起きたという。ある朝、海老蔵に覆い被さられ、こう〈襲われた〉と主張しているのだ。
「麻央がいなくなって寂しいんだ。俺のこと好き?」
これは事実なのか。
――ブログで〈襲われた〉と。
「誤解を招くようなことがあったのかもしれませんが、実際にそのようなことはありません」
――「誤解を招く」とは?
「要は勘違いをされている」
――覆い被さったことはないということ?
「そうです。実際、男女関係はないですから」
――「好き」と言ったり?
「いや、『好き』って……。分からないです。私はお互いに支え合っていたということだと思っています」
――麻耶さんとの再婚情報が報じられたことも。
「それは、周りが勝手に言っているだけですから」
麻央の死から約1年後の18年7月、麻耶が“交際ゼロ日”で結婚したのは、國光氏だった。以降、レギュラー番組をドタキャンするなど異変が目立っていく。最近は有料ブログで故・神田沙也加が“降臨”したとも主張。こうしたスピリチュアルな言動の背景にあると見られるのが、「宇宙ヨガインストラクター」と称される國光氏の存在だ。

――麻耶さんの異変は國光氏が影響している?
「本当に分かりません。否定も肯定もできない」
――國光氏との出会いは?
「麻耶さんは結婚前から、私の自宅に國光さんを連れてきていました。婚約者ではなく、治療家ということで10回弱会った。麻耶さんが『海老蔵さんもやって下さい!』と。麻耶さんが連れてきた方を蔑(ないがし)ろにはできませんし、何度か施術を受けたこともあります」
――どんな施術?
「國光さんは寝ている私の横に座るのですが、体に触ることもない。時間は覚えていませんが……寝てしまうこともありました。結婚後は殆ど会っていませんが、正直、今とは全然違う人だったと思います。それが最近はブログで〈僕は創造主〉と書いていて、そうなんだ……と少し戸惑いました」
麻耶は〈結婚して直(す)ぐ勸玄君と麗禾ちゃんに会えない罰を与えられた〉と訴えるが、実際はどうだったか。
「お互いにコミュニケーション不足はありました。向こうが必要な時には私が忙しかったりもして……」
國光氏との結婚を機に、距離が生まれた海老蔵と麻耶。そんな中、海老蔵が昨年10月に投稿したのが「おかえり、」と題したブログだ。
〈今日は麻耶ちゃんと晩御飯/本当色々あったけど、おかえり〉
だが、麻耶はこの「おかえり、」ブログが暴露に至った理由と主張する。麻耶と國光氏は昨年4月に離婚したが、海老蔵に相談した上で公表しなかったという。にもかかわらず、離婚を示唆するブログを勝手に投稿されたと麻耶は激怒し、再婚も発表したのだ。
――「おかえり、」ブログの真意は?
「本当に深い意味はありません。当日、私は高知にいましたが、麻耶さんとお義母さん、麗禾と勸玄の四人で食事した写真が送られてきた。皆でご飯を食べて子供たちも笑顔でしたから、何となく『おかえり』と」
ただ、海老蔵のブログには〈心配しすぎて気絶してました〉と綴られている。
――「國光氏の洗脳が解けて、おかえり」とも読める。
「言葉の綾というか、そんなつもりはなく書いてしまった。ただ、確かに、改めて読むとそのように読めてしまうと感じました」
――離婚を「公表しなくていい」と伝えた?
「離婚の報告は去年春にありましたが、家族としてどう対応していいか迷っていた。二人の為に変な憶測を呼びたくないと思って、そう言ったんだと思います。なのに、勝手な投稿をしてしまった。浅はかだったと反省しています。ただ、去年のクリスマスや大晦日は麻耶さんから『一緒に過ごしたい』と言われたりもしたんです。彼女の席も用意していた。でもお義母さんを通じて『やっぱり行きません』と。今思えば、ブログが気になっていたのかな、と……」
3月21日に始まった麻耶の暴露を一層加速させたのは、海老蔵の女性問題だ。「女性セブン」3月24日発売号によれば、3月中旬、深夜デートに興じ、同時期に別の女性とも密会していたという。さらに2万円を渡し、“パパ活”に及んだという女性の証言も紹介されている。独身とはいえ、自身のSNSで発信する“イクメン”ぶりとはかけ離れた姿だ。麻耶も〈女性と遊んだその身体で姪甥のそばにいて欲しくない〉と綴っている。
――普段の“イクメン”ぶりとは対照的だが。
「もう反省です。もちろん違うこともありますが、それをいちいち否定するのも……。今後の生活態度で見極めて頂くしかない」
――女性遊びは芸の肥やしとの考えだったのか?
「芸の肥やしとは思っていません。ファンの方々や関係者の皆様、そして家族に迷惑をかけたことは申し訳なく思っています。今後は皆様に納得頂けるよう軽率な行動は控えたい」
――複数の女性と交際を?
「いや……。どこからが交際なのかよく分かりません」
――肉体関係はあった?
「正直、分からないですね」
――それは分かるのでは?
「でも肉体関係があったかどうかってセンシティブなので。そこは申し訳ないんですけど。ただ、実際には食事をしただけで何もなかった人も全然います」
「再婚も視野に入れている」
「女性セブン」は4月7日発売号でも、海老蔵が麻央と新婚生活を送り、現在は稽古場に改装した目黒の邸宅に、複数の女性を宿泊させたことを報じている。
――麻央さんとの思い出の家に女性を招いた?
「仕事関係の人で、待っててもらったのは事実です」
――朝まで家の中で?
「『使っていいよ』と。私が一旦いなくなったのは事実ですが、何もありません。でも、反省してもしきれない思いです。麻央を忘れたことはありません。今も深く愛しています。ただ……、子供たちや襲名のことを考えると、そろそろ再婚を視野に入れていたことも事実です。現時点で特定のお相手がいるわけではありませんが、決して複数の女性と手当たり次第に交際していたわけではない。もちろん、再婚については子供たちやお義母さんともしっかりと話をしたいと考えています」
この間、一度だけ事態が動いた日があった。麻耶が3月30日、「ご報告」と題するブログを更新し、海老蔵から謝罪の連絡があったことを明かしたのだ。
――どんな経緯だった?
「まず3月30日、麻耶さんにLINEで『おかえり、』ブログを謝罪し、私のファンの方々が麻耶さんと國光さんを誹謗中傷したのなら、申し訳ないと思って謝りました。そして『会って話をしましょう』と伝えたんです。すると翌31日の夜8時頃に『会いたい』と返信がありました」
海老蔵はこの時、羽田空港に向かう機内にいた。
「急遽、家には帰らず、羽田から一人で目黒の稽古場に向かいました。話し合いは夜10時30分過ぎから始まった。向こうは麻耶さんと國光さん、國光さんの知り合いの男性の三人でした。彼は立会人と言っていましたが、よく分かりません」
実はこの日、海老蔵と麻耶、國光氏は対面していたというのだ。小誌の取材では、同席者は、國光氏のブログで「スポンサー」と紹介されている男性だった。
「麻耶さんは会った瞬間、物凄く笑顔でしたし、話し合いの過程で、理解は深まったとも思いました。國光さんについても、彼はそういう思いを持っていたのか、と。ただ正直、よく分からなかった部分もあります。麻耶さんのブログでは、『おかえり、』ブログの件と、ファンの誹謗中傷について謝れば許すかのように書いてありましたが、そうではなかった」
――麻耶さんは怒っていた?
「いや、『麻央がこう言っている』と」
――“降臨”した、と。
「そんな感じでした。ただ、麻耶さんが何を求めていたのか……結局、そこは言ってくれませんでした」
――中東公演や民間療法に関して謝罪を求められた?
「それは無かったと思います。とにかく、『おかえり、』ブログとファンの誹謗中傷への謝罪だけでは許さないよ、と。それと國光さんを『宇宙ナントカ』と報じた記事の話も突然出てきて、『なぜあの時否定してくれなかったんですか? 味方になってくれればこんなことにならなかった』と迫られたりもしました。ただ、報道を全部関知していません。でも、こちらは謝罪をする立場ですから『ごめんね』と。基本的に麻耶さんと國光さんが話をされ、私が聞いていました」
義母、子供たち、麻耶への想い
面会を通じて、麻耶と國光氏は一つだけ明確な「条件」を提示してきたという。
「私のYouTubeに二人をゲストで呼び、その場で謝罪をして欲しい、と言うのです。私の一存では決められませんから、持ち帰らせて欲しいと伝えると、『今ここで決めて欲しい。明日はエイプリルフールだから明日出してもいいんじゃない?』と。第一の条件と言っていましたから、他にも条件があったと思います。でも、それを聞いても教えてくれませんでした」
夜通し約6時間に及んだ話し合いは、立会人とされる男性が「そろそろ」と促し、終わりを迎えた。
「終わったのは、朝4時30分頃でした。YouTubeへの出演は持ち帰ることで最後は納得して頂き、『気を付けて帰って下さいね』と和やかに終わったんです」
以降も、LINEでの連絡を続けた海老蔵と麻耶。暴露は終わったかに思えたが、三日後の4月3日、麻耶の様子が一変する。海老蔵のファンから誹謗中傷を受けたとして、こう綴ったのだ。
〈お詫びの連絡をしたことは本当だとブログに書け!!!!〉
さらに怒りの矛先は、海老蔵の自宅で、子育てを手伝う実母へ向かう。
〈母は海老蔵洗脳中、娘より海老蔵〉
――実母への批判まで。
「私がお義母さんを洗脳したことは一切ありませんし、お義母さんからも洗脳されていません。私も舞台や仕事で多忙を極めていましたから、お義母さんには麻央の闘病中から幼い勸玄と麗禾のことを一番に考えて頂きました。もう70歳近くになりますが、今でも毎日子育てを支えてくれて、感謝しかありません」

1カ月が経っても終わりの見えない麻耶の暴露。海老蔵が苦衷を吐露する。
「さっきまでここにゴールがあったのに、次はあっちに移ったりする。でも謝罪する立場で、『違うじゃないか』と言うことはできませんでしたから……」
それでも、海老蔵は「麻耶さんはいつまでも麻央の姉。今でも家族だと思っています」と語る。
「麻耶さんは本来、心が優しい方です。家族想いで私のこともしっかりと考えてくれる。麻央亡き後、私が舞台で出席できない時は、子供たちの卒園式や入学式、発表会などに足を運んで下さった。本当に感謝しています。ただ、最愛の妹を亡くしたことで心に大きな傷を負ったのは間違いない。私が今回話したことが、麻耶さんから見れば『違う』という点もあるかもしれません。けれど……すぐは難しくても、昔のように楽しくて、笑顔溢れる家族に戻れる日が訪れて欲しい。今が踏ん張り時だから、子供たちには『パパ、一生懸命に頑張るよ』って伝えています」
本業の歌舞伎では、コロナ禍で延期が続く團十郎襲名公演も控えている。
「コロナ禍によるSNSの普及もあり、日本人は今、短時間でしか物事を探求できなくなっているのかもしれません。対して歌舞伎は、どっしり腰を据えて物事を感じたり、考えることの重要性を再認識させてくれるコンテンツです。團十郎襲名に留まらず、歌舞伎という日本を代表する伝統芸能、世界に誇れる文化の一翼を担うために、懸命に努めていきたい。子供たちに対しても、親として師として誇りに思ってもらえるように、更なる努力を重ねなければならないと思っています」
最後に「そろそろ子供を迎えに行かないと……」と語り、130分にわたる取材を終えた海老蔵。その告白は麻耶の胸に届き、泥沼劇に幕が下ろされるか――。
source : 週刊文春 2022年4月28日号