役所の市民窓口から飲食店のお客様アンケートまで、いま日本中に人々の声を吸い上げるツールは溢れている。ただ、そのために、何を勘違いしたのか、「お客様は神様です」とばかりに無理難題を押し付ける顧客暴力(カスタマー・ハラスメント)が社会問題になっている。
こうした問題は、しばしば大衆迎合政治や行き過ぎた顧客至上主義などを原因とする、現代社会特有の問題と考えられがちなのだが、そんなことはない。室町時代にも、似たような現象は存在していた。
室町時代には「落書(らくしょ)」と呼ばれる匿名投書が僕らの想像以上に価値を認められていて、落書による告発が意外に多くの組織を動かしていたのだ。当時は「天に口無し、人を以(もっ)て言わしむ」という諺(ことわざ)があったぐらいで、匿名で流れてくる噂は神仏の声を代弁しているものとすら考えられていた。つまり、室町時代、「お客様」は本当に「神様」だったのである。
滋賀県大津市にある園城寺(おんじょうじ)(三井寺(みいでら))の南院で行われた、15世紀の月例会議の記録が残されている(『南院惣想集会引付(なんいんそうそうしゅうえひきつけ)』)。その会議録を読んでみると、園城寺の坊さんたちが、どんなことに頭を痛めていたのかがよく分かる。とくに宝徳3年(1451)は様々な落書が寺に届けられ、そのたびに坊さんたちは右往左往させられている。それらの告発の具体的内容を紹介しよう。
まず2月。「鳩尾八幡(はとのおはちまん)の坂で土砂が崩れて、通行できなくなってる。どうにかしろ」という落書が届く。当時は郵便受けなどは無かったから、落書は寺の玄関や庭に投げ込まれるのが常だった。落書の性格上、告発者の身分は不明である。しかし、これを受けて、寺の執行部は早急に対策を講じ、同月中に全僧侶が道路復旧工事に参加し、近隣の三ヶ村にも人足動員がかけられることになる。
ついで3月。真照房という坊主が「無沙汰をしている」という落書が舞い込む。この「無沙汰」が何をさすか、よく分からないのだが、南院では、この告発に従い、真照房を罰している。
5月には、「春林房は昇進したにもかかわらず、寺内で生活せずに、まだ里で暮らしている」という落書が届く。この時代、建前上、僧侶は妻をもつことができなかったが、それはあくまでも建前。現実には寺外の「里」に家を持ち、妻子を抱えている僧侶も少なくなかった。この落書は、春林房がある程度の地位に昇ったのに、そうした別宅を構えていることを告発したものだったようだ。
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source : 週刊文春 2022年6月16日号