一般の方々には必ずしも馴染みのある人物ではないだろうが、室町時代を代表する政治家として、醍醐寺三宝院(さんぼういん)の満済(まんさい)という僧侶がいる。彼は、三代義満(よしみつ)から六代義教(よしのり)までの歴代将軍の身辺に仕え、政治顧問や、将軍と大名とのあいだを取り持つ交渉係として、稀有な才能を発揮した。

 現代の企業や組織でも、うまくいっている組織ほど、ワンマンなリーダーを絶妙にサポートする思慮深い調整役がいて、実質上、その人の功績で組織内の人間関係が円満になって、事業が好転しているというケースが多い。室町幕府における満済の役割も、まさにそれであって、彼は同時代人からも「天下の義者(ぎしゃ)」と、その人柄が賞賛される人格者だった。

 暴虐な振る舞いが多く、そのために後に大名の謀叛で身を滅ぼすことになる将軍足利義教すらも、満済の生前はある程度自重し、彼の言に従って安定的な政治運営を行っていた。とりたてて大きな戦乱も起きなかった室町前期の政治的安定は、満済によって成し遂げられたと言っても過言ではないだろう。

イラスト おおさわゆう

 醍醐寺には彼の書いた大部な日記『満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)』が残されている。そこには、幕府の中枢に食い込んでいた彼しか知りえない情報が多く書き込まれていて、この時代の政治を研究する歴史学者には欠かせない一級史料となっている。

 しかも、その文章は決して余計な修飾はなく客観事実だけが微細に記載され、彼自身の主観は厳粛に抑制されている。そのぶん読み物としては少々面白みに欠けるのだが、それは、むしろ彼の合理主義的な精神を示すものと言えるだろう。ついでに言えば、あまり日記の字がうまくないのも、彼の実益最優先の人柄を映し出しているように思える。

 当時の日記はいらなくなった手紙などの裏紙を再利用して書かれることが多かったので、僕たち歴史学者は、ときにその裏側の破棄文書にまで目を凝(こ)らして、研究の対象とする。場合によっては、それによりオモテ側の日記には書けなかった生々しい政治交渉、文字通り「ウラ」の真実を発見することもある。

 ところが、この満済の日記の裏側を精査した研究者の報告によれば、彼の日記に再利用された破棄文書には、わざと生臭い政治上のやりとりの手紙は除かれているのだという。それどころか、そのなかで使われた当たり障りのない破棄文書すらも意図的にシャッフルされていて、日付の前後関係をわざと錯綜(さくそう)させたうえで再利用されているという。

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source : 週刊文春 2022年6月9日号