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相撲の果てはケンカ|清水克行

室町ワンダーランド 第5回

清水 克行
エンタメ スポーツ

 歌舞伎や能楽の鑑賞ほどではないが、現代日本では相撲の観覧というのも、かなり高尚な趣味の部類に入るのではないだろうか。実際、テレビの大相撲中継を見ていると、土俵の向こうの升席(ますせき)に、きれいな和服に着飾ったご婦人方をよくお見掛けする。プロ野球やJリーグと比べて、やはり大相撲は伝統と格式ある世界と考えられているのだろう。

 ところが、室町時代まで遡ると、相撲も現代のものとはかなりイメージが違ってくる。

 この時代の京都の公家たちが書いた日記などを読んでいると、室町人はよほど相撲が好きだったらしく、あちこちの村祭りなどで相撲大会が行われていることが分かる。しかも、やたらと長時間で、夕方から始まって翌日の朝にまで及ぶことすらあった。観客が1000人以上集まることも珍しくなく、ときには、その観客が“飛び入り”して一緒に相撲を取るという場面も見られた。そのうち多くでは、ヒートアップのあまり、競技者同士、あるいは観客も交えて激しいケンカまで発生している。

イラスト おおさわゆう

 延徳元年(1489)9月に京都郊外の山科(やましな)で行われた相撲大会では、同日に2度もケンカが発生しただけでなく、その最中に観客席から投石がなされ、関係者は足や頭を切る大ケガを負っている(『山科家礼記(けらいき)』)。座布団投げどころの話ではない。

 当時は「相撲の果てはケンカになり、博奕の果ては盗みをする」という諺(ことわざ)があったぐらいで(狂言「三人片輪」など)、相撲にケンカは付き物だった。鎌倉時代のある寺では、夜相撲の禁止令まで出されていて、それによれば「相撲は仏事でも神事でもないのに人が集まり、ややもすれば些細なことでケンカになり、刃傷や殺害の原因となる」という(「越知(おち)神社文書」)。相撲で殺されてしまっては、たまらない。

 とくに室町幕府や大名たちが神経を尖らせていたのが、「辻相撲(つじずもう)」と呼ばれる路上での即興相撲大会だった。当時は街の公道を舞台にして、庶民が勝手にノリノリで相撲大会を開催していたのである。しかも、同じ禁止令が何度も出されているところを見ると、為政者の憂慮をよそに、禁止令はほとんど守られていなかったようだ。よほど庶民は辻相撲に熱狂していたのだろう。

 すべてが今より荒々しかった時代、決して相撲はお行儀よく見るものではなかったし、土俵にあがる者も今より遥かに闘志満々だった。

 では、なぜ当時の相撲は、そんなに殺伐としていたのだろうか。左に掲げたのは、「鳥獣戯画」のワンシーン。ウサギとカエルが相撲をとる有名な場面で、一見すると、のどかでファンタジックな光景だが、当時の相撲が殺伐としていたヒントが、ここにある。この相撲風景には、現代の相撲には無くてはならないあるものが一つ欠けているのだが、読者の皆さん、分かるだろうか?

ウサギとカエルの相撲。あるものがない?「鳥獣戯画」(高山寺蔵)より

 実は、ここには意外にも「土俵」が描かれていないのである。そう、何を隠そう、江戸時代より昔の我が国の相撲には「土俵」が無かったのである。

 そうなると、当時の相撲は現代のそれとは、だいぶ趣きが異なってくる。まず、そもそも決まり手として、相手を土俵の外に押し出す「押し出し」と「寄り切り」が使えない。現代の相撲では、押し出しと寄り切りで半分近くの取組の勝敗がつく。しかし、当時の相撲では、すべての勝負が、相手を倒さない限り決着がつかないことになる。そうなると、もう相撲というより、レスリングやモンゴル相撲、あるいは純粋な格闘に限りなく近くなるだろう。

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source : 週刊文春 2022年6月2日号

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