昨今の旅の速さの進歩は、目覚ましい。国内線の機内での食事提供や、新幹線の食堂車はいつから無くなってしまったのだろう。あまりに移動スピードが速くなったので、もはや移動中に食事をとることすら不要になった、ということのようだ。そのぶん旅の風情が無くなったのは寂しいが、少なくとも僕らは国内旅行ぐらいなら、快適かつ速やかに旅を楽しむことができるようになった。

 ところが、室町の旅は、そんな優雅な現代の旅と違って、不自由なことだらけだった。

 応仁の乱が始まって3ヶ月が経った頃。焼け野原となった京都から避難すべく、5人の禅僧が2〜3人の荷物持ちを連れて旅立った。目的地は琵琶湖の東岸の村で、同行者の一人、桃源瑞仙(とうげんずいせん)(38歳)の郷里。いつ終わるとも知れない戦乱を、田舎に逃れて、やり過ごそうという狙いだった。以下は、横川景三(おうせんけいさん)(39歳)の著作『小補東遊集(しようほとうゆうしゆう)』に書かれた旅の体験談である。

 8月24日、夕食を済ませて京都を発した彼らは、晩に近江坂本(現在の滋賀県大津市)の関所に到着。関所で小休止の後、そこから夜舟に乗って琵琶湖を渡り、翌朝には無事に東岸の柳浜(現在の近江八幡付近か)に着く計画だった。

 ところが、それを聞いた関所の役人は、慌てて彼らを引き留める。「今は天下が乱れて、群盗が暴れまわってます。とくに堅田(かたた)の海賊はこの機を狙って、手には槍をもち、腰には弓矢を携え、商舟・旅舟関係なく、通り過ぎる舟があれば掠奪(りやくだつ)や殺害をしようとしてます。見たところ、あなた方は多くの荷物を持っていますが、身の備えにはあまり気を払っていない。考え直したほうがいい」。

 しかし、この忠告を聞いた横川は、それを無視して、そのまま夜舟で旅立ってしまう。船頭に柳浜までの舟賃を払って、荷物が積み込まれる。同じ舟には、彼ら以外にも5〜6人の乗客がいて、座禅を組む者、お経をあげて祈る者、舟の覆いを除(よ)けて和歌を吟じる者、船べりを叩いて唄を歌う者がいたり。みんな舟旅に少々興奮気味。そんななか、里帰りでいつも舟に乗りなれてる桃源だけは一人、波に揺られて熟睡していた。

 途中、葦(あし)の生い茂る夜の湖面で、横川らの乗る舟は一艘の釣り舟と遭遇する。「あんたら、どこへ行くんだ?」と呼び止める釣り人に、船頭は「柳浜」と答える。すると、釣り人はまたしても「このさきの湖上には海賊が数えきれないほどいるぞ。行ったら絶対に襲われる。引き返したほうがいい」と忠告する。「なにを根拠にそんなことを言うんだ」。横川は怒って釣り人に食ってかかるが、弱気になった船頭はおとなしく釣り人の言に従い、舟を岸へ留める。二度におよぶ地元民の忠告に耳を貸さない横川の頑なさは、もう、このさきの不吉なフラグとしか思えない。

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source : 週刊文春 2022年7月14日号