「ジュリーのイメージを大切にしてほしい」。周囲の善意の忠告を払いのけながら、沢田研二は不遇の20年を歌い続けた。葛藤の時を自棄(やけ)にならず過ごすことができた理由とは。
湾岸戦争が勃発し、ソ連が消滅して東西冷戦構造が壊れた1991年に、沢田研二はデビュー25年を迎えようとしていた。この年、NHK衛星第二放送は、11月9日から13日にかけて「沢田研二スペシャル・美しき時代の偶像」と題した特別番組を放送。スターの故郷、京都からの生中継を含めて、武道館で開かれた25周年コンサート「ジュリーマニア」や主演したドラマ、映画、紅白歌合戦のステージなど、関係者25人のメッセージを織り込み、25時間を使って、全編ジュリー中心のプログラムを組んだ。
番組を見たいがために、視聴世帯がまだ少なかった衛星放送に加入したジュリー・ファンは少なくない。NHK放送史のホームページには、ビデオテープの長さに限りがあり、録画するために会社を早退した、という視聴者のコメントが載っている。確かに、そうまでして視聴したい密度の濃さであった。
ことに沢田の子どもの頃からの遊び場でもあった南禅寺の近くにある山荘、清流亭での「歌とトークで綴るジュリーの25年」は、スターの25年の歩みを振り返って、興味深い逸話が明かされた。一部はザ・タイガース時代の話題で岸部一徳、岸部シロー、森本太郎、すぎやまこういち。二部が加瀬邦彦、安井かずみ、大野克夫。三部が井上堯之、大野克夫、樹木希林。沢田研二ゆかりの人たちが集まって、ジュリーの過去と未来を語ったのである。
ゲストに共通するのは、スーパースター、ジュリーへの強い思い入れだった。それだけにここ数年の沢田の彷徨には、誰もが言葉にならないもどかしさを感じているようで、時にジュリー自身も過去に集まる視線に不機嫌になってしまう。
〈やっぱり自分のいる場所はテレビの中ではなくなってきましたね〉〈今求められるとしたら「昔の歌を歌ってください」で、それと交換条件に今の歌を歌うみたいな。そういうのは出たくないし。今回のこのプロジェクトにしたって、ほとんどが昔の話になるわけでしょ〉
上岡龍太郎が語ったこと
東京グローブ座で上演するACTシリーズとアルバム制作、コンサートツアーの三本柱でやっていくのだ。そう沢田は、一緒に仕事をしなくなって6年がたつ加瀬に説明した。
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source : 週刊文春 2023年1月19日号