2年連続最下位、6年連続Bクラスというどん底のチームを正式就任直後からリーグ3連覇に導いたオリックスの中嶋聡監督(54)。威圧感から“サメ”と呼ばれた名将の指導術とは。
1969年、中嶋は雪深い秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)に3人きょうだいの末っ子として生まれた。母・節子さんが話す。
「子どもの頃からスポーツは得意でした。冬はクロスカントリースキーの大会に出てね。それで足腰を鍛えて肩も強くなったのかも」
小学校5年のとき、所属していたバレーボールチームがなくなり、友人の誘いで野球を始めた。
鷹巣農林高校の林業科に進学すると1年からセンターでレギュラーを掴む。当時の野球部監督だった津谷正俊さんが振り返る。
「肩が強いのでピッチャーも試したいと思い、投げさせたらほとんど打たれない。キャッチャーにコンバートすると補殺の球が速すぎて野手のベースカバーが間に合わないほどだった」
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source : 週刊文春 2023年10月5日号