1937年7月に盧溝橋で起きた日中間の衝突が、やがて中国全土に広がる日中戦争となってしまいました。今回はそこにいたるまでの動きを見ていきましょう。
37年8月9日、上海で事件が起こります。共同租界にある日本人経営の紡績工場の警戒にあたっていた海軍陸戦隊の大山勇夫中尉と斎藤與蔵一等水兵が中国保安隊に射殺されました。大山事件です。
これをきっかけに、8月13日から日中の両軍が上海で衝突し、第二次上海事変が起こります。
よく、陸軍がワルで海軍は善玉やという話がありますね。ただ陸軍には、石原莞爾(かんじ)のように不拡大派がいました。ところが海軍では早くから上海や南京への攻撃計画が進められていたのです。参謀本部作戦部長だった石原はこうした動きに対して「海軍に対支全面作戦を行うべきという強硬論が多いが、作戦の本質を知らないものだ」と海軍軍令部に申し入れていました。
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source : 週刊文春 2023年11月30日号