明治維新から太平洋戦争敗戦までをおさらいする、今回は2回目です。第一次世界大戦(1914〜18年)から五・一五事件(32年)までを見ていきます。
日本ではデモクラシー(民主主義)の時代が幕を開け、短かったとはいえ戦前の政党政治が行われました。
■野心満々の日本
第一次世界大戦は、中央同盟国(ドイツ、オーストリア゠ハンガリー、オスマン朝、ブルガリア)対連合国(英仏露)の構図で戦われました。
当時、日本は大英帝国と日英同盟を結んでいて、インドまでがその適用の範囲でした。大英帝国としては、日本には極東地域の傭兵でいてほしい。だから「ヨーロッパでドイツと戦争するけど、今回は適用外だから動かないでね」と念押しをしました。ところが日本は、「大チャンスや!」と考えてドイツが統治していた中国山東省の青島やサイパン、パラオなどを占領してしまいます。どう見ても火事場泥棒ですよね。
そして1915年、「オレの言うことを聞け」といくつもの要求を中国に突きつけます。対華二十一か条要求です。これには中国だけでなく米英からも不評を買いました。アメリカは民族自決(民族はそれぞれに独立し自らの政府をつくる権利がある)を唱える国ですから、日本の要求はとんでもないものだったのです。
シベリア出兵でも印象を悪くします。17年、大戦で疲弊するロシア国内で革命が起こり、レーニンが社会主義政権を誕生させました。列強の国々は社会主義化を阻止するために兵を送り干渉を始め、日本も兵を送ることを決めました。アメリカは「7000人ずつ兵を出そう」と提案します。ところが日本は7万2000人も派兵します。他の国も数千人規模でしたから「日本は野心満々やな」と受け取られたわけです。日露戦争で勝った日本は、火事場泥棒を働くわ、威張るわ、と各国との関係で成り立つ「開国」の考えが、どんどん薄れていきます。
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source : 週刊文春 2024年1月25日号