兄は新本社ビルが完成したばかりの電通へ。華やかな雰囲気を纏う医師の娘と結ばれる。弟は日本航空に入社。彼が熱をあげたのは、“北海道の政商”と呼ばれる男の娘だった。

 

 1967年5月、東京・築地に、日本を代表する建築家、丹下健三が設計したコンクリート剥き出しの柱梁に覆われたスタイリッシュな外観の電通本社ビルが完成した。威圧的な13階建てのビルの側壁からは梁が飛び出し、短い手足を彷彿とさせた。それは戦後に急成長を遂げた電通が、さらに力強く飛躍する未来を象徴しているかのようでもあった。

 この年、高橋治之は、慶応大学法学部を卒業し、電通に入社した。就職に際しては、NET(現テレビ朝日)に勤めていた父、義治にも相談したが、口添えできる企業として名前が挙がったのは、NETと電通だった。

 治之と同期入社の一人が言う。

「彼は慶応幼稚舎時代からの同級生と揃って電通から内定を貰っていました。内定者は東京モーターショーのアルバイトのクチを紹介して貰えたので、そこで他の同期とも仲良くなるのです。当時は、入社時にあだ名をつけるのが習わしで、彼は学生時代のニックネームのまま“タコ”と呼ばれていた。みんな何らかのコネ入社でしたが、採用の時には、学科試験の成績優秀者から順に面接を受ける形でした。その時点で彼は下位に甘んじていたうえ、入社前の2月になって、卒業に必要な単位が足りないかもしれないと慌てていた。何とかギリギリで卒業証書を貰ってきたものの、結局は新築の東京本社ではなく、大阪支社の新聞雑誌局に配属になったのです」

仲人は慶応塾長夫妻

 当時の電通は、コネ入社が当たり前の世界だった。電通の“中興の祖”と呼ばれた四代目社長の吉田秀雄は、新聞や雑誌など活字媒体が中心だった広告業界にあって、民間のラジオ放送の立ち上げに尽力。その後は、テレビ広告の代理業にも力を入れてメディア全体を掌握し、日本の広告モデルの礎を築いた。彼は南満洲鉄道(満鉄)出身者を重用し、人脈を広げた。そのネットワークは“コネ”によって増強され、電通の強みとなった。

〈仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない〉

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source : 週刊文春 2024年2月1日号