1977年は兄弟にとって転機の一年だった。治之は電通でビッグイベントを仕掛け、治則は日航を退職し、実業家へと転身。その頃、弟の義父は“権力の絶頂期”にあった。
巨人軍の王貞治が、ハンク・アーロンを抜き、756本塁打の世界記録を樹立した記念すべき1977年。この年は、高橋治之と治則の兄弟にとって、転機の一年だった。
電通に入社して10年を迎えた治之は、75年に新設された開発事業局に所属していた。開発事業局は、電通が広告事業とは異なる新しい収益ビジネスを模索するなかで立ち上げられた部局だった。局を率いる責任者は、治之が大阪支社から異動して以降、彼の上司だった入江雄三。入江が構想したのは、新聞やテレビなどのメディアを複合的に使ったイベントプロデュースだった。
そして初めて電通がメインとなって取り組んだスポーツイベントが、77年3月に東京で行なわれた「フィギュアスケート世界選手権」である。当時、日本スケート連盟の会長を務めていた竹田恒徳(つねよし)が、電通に協力を求めたことがきっかけだった。
入江は自著「エンタメ・ビジネス一代記」のなかで、こう記している。
〈昭和天皇の従兄弟にあたる竹田会長が自ら出向いての依頼、ロイヤルファミリーの影響力は大きかった。(中略)役員会は返事をずるずると延ばした挙句、開発事業局長の私が役員会に引っ張り出され、担当を命じられたのである〉
当初は先行きを危ぶむ声が大勢を占めたが、大会は佐野稔の銅メダル獲得が追い風となり、チケットは完売、約2000万円の利益を叩き出した。このプロジェクトは、治之の先輩社員が中心となって取り組み、彼に出番はなかった。
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source : 週刊文春 2024年2月8日号