知事の肝煎りでスタートしたドクターヘリ事業。ところが、運航事業者は国から「組織ぐるみの違法行為」を指摘され、重大インシデントも絶えない。都民の命を守るべく導入された事業は、いまや「負の遺産」と化している。

「誰もが、どんな時にでも、症状に応じた適切な医療を迅速に受けられる体制作りというのが救急医療の基本です。ドクターヘリの運用を開始することで、さらに都民の医療支援を拡充させていきたい!」

 2022年3月30日、杏林大学医学部付属病院で開かれた東京都ドクターヘリ就航式。主賓として登壇した小池百合子都知事は高揚した様子でこう語った。

 ドクターヘリ(以下、DH)とは、医師や看護師を乗せて傷病者のもとへ向かう救急医療用ヘリコプターのことである。

 

 この7月に2期目の任期満了を迎える小池都知事。

彼女がDH事業を公約に掲げたのは2020年の2度目の出馬の時だった。

 出馬の際に発表した政策集「東京大改革2.0」において、街づくりの一環として「ドクターヘリの強化」を明記したのだ。

「かねてからDH事業は、都議会公明党が推進を働きかけてきました。小池氏は2期目の出馬に際し、公明党案を丸呑みし、自らの肝煎り政策として掲げるようになった。そして、杏林大学医学部付属病院が医師・看護師を派遣する『基地病院』となり、入札の結果、DHの運航は学校法人ヒラタ学園に委託された。現在は多摩地区などの西東京エリアのみで運航されています」(都政関係者)

大阪・堺市にあるヒラタ学園

 DH就航から2年――。都内の医療関係者は「このままでは救える命も救えなくなるのではないか」と危機感を募らせる。

 筆者が取材を進めていくと、東京都のDHは「異常なキャンセル率の高さ」と「安全意識の欠如」という2つの大きな問題を抱えていることが判明した。

 まず「異常なキャンセル率」から見ていこう。都道府県ごとのDHの運航データが明記されている「2023年度ドクターヘリ事業運航実績」(全日本航空事業連合会作成)によれば、都のDHの運航回数1360回のうち、患者を運んだケースは306回、患者を運ばずに戻ってきたキャンセルは1054回だという。

 計算するとキャンセル率は77%、実に約8割となっているのだ。

 同様に、前年度における東京都のキャンセル率を調べてみると、やはり78%と高い数字である。

 隣県の数字をみると、埼玉県は10.7%、千葉県は27.9%。東京都を除いた全国平均を調べると、18%と低い水準で収まっており、東京都の数字がいかに異常であるかが判る。

 

 これには日本航空医療学会のトップである猪口貞樹理事長も首をかしげる。

「東京都のキャンセル率はあり得ない数字です。他の都道府県の数字を見ても、通常のキャンセル率は20%、高くて50%程度です。DHは、症状を重めに判断し、出動のハードルを低くするオーバートリアージという考え方で運用されますが、それはどの都道府県も同じ。なぜ東京都だけが8割近いキャンセル率になるのか不可解です」

 ある都庁関係者は「ヒラタ学園が落札した経緯も不透明だ」と指摘する。

飛べば飛ぶほど儲かる

 DH事業の入札は、東京都から委任されている杏林大学医学部付属病院によって2021年に「東京都ドクターヘリ運航事業」として公募された。入札には3事業者が参加し、ヒラタ学園が「1億9520万円」で落札。「2事業者よりも3000万円ほど低い、破格の額」(同前)だったという。

 問題は、実際にヒラタ学園に支払われた額が2億6504万円(2022年度)となっており、入札時の金額を大幅に上回っていることにある。

 DH問題を調査する五十嵐えり都議(立憲民主党)が指摘する。

「DH運航事業は補助金事業で、財源は国と都からの税金が半分ずつです。ヒラタ学園に支払われる金額は年間飛行時間を基準に算出されており、飛べば飛ぶほど金額が高くなる仕組みとなっている。本来、入札時に想定した額よりも高くなれば、『契約内容の変更の合意』が必要です。ところが、それを行っておらず非常に問題です」

 入札内容を知る、別の航空会社の担当者が語る。

「公告されたDH事業の入札要綱には『契約金額の変更はない』と明記されているにもかかわらず、実際は実費で支払われている。これはどう考えてもおかしい。入札時の契約金額に関係なく支払額が増えるならば、最初からゼロ円で入札したっていいわけですから」

 五十嵐都議は「東京都の異常に高いキャンセル率の一因は飛べば飛ぶほど儲かる仕組みにあるのではないか」と語る。

 そしてより深刻なのが、「安全意識の欠如」だ。

 前述のようにDH運航を担うのはヒラタ学園だ。

 同学園は電気店経営から身を起こした平田勇理事長が一代で築き上げ、1986年からコンピューターやパイロット養成などの専門学校を運営。その7年後に航空事業に乗り出し、2003年に和歌山県で初めてDH事業をスタートさせた。

ヒラタ学園副理事長の平田光弘氏

 その後、事業を急拡大させ、大阪、兵庫などを網羅する関西広域連合、長崎などでもDHを運航している。

「ヒラタ学園のヘリは重大インシデントが絶えない。2009年には沖縄でエンジン停止による不時着。2017年には兵庫県で衝突事故を起こしかけている。同年に神戸空港でヘリ横転事故を起こしたのですが、その際、女性記者の取材に対して、ヒラタの担当者が『女にはヘリのこと分からんやろ』と言い放ったこともある」(社会部記者)

 DHに搭乗経験のある元パイロットはこう続ける。

「ヒラタは銭ゲバ体質で、パイロットの待遇は悪く、かねてからコスト削減のため、不正整備で済ませていた。組織ぐるみで不正をしており、まさに航空業界の“ビッグモーター”。私自身は、ヒラタのDHには怖くて乗れません」

 このパイロットの証言が裏付けられたのが5月28日のことだった。国交省の大阪航空局がヒラタ学園に対し、「事業改善命令」と「警告書」を出したのだ。

 大阪航空局は、耐空証明の有効期限が切れた機体からの部品の流用、不具合を解消しない状態での運航など、実に30項目に及ぶ不正を指摘した。そのうえで、DHなどの公益性が高い事業を実施するために十分な予備品が配備されていないと非難している。

委託会社の変更も真剣に検討

 また航空日誌に不具合が発生したと記載しないなど、航空法違反行為を繰り返していた。しかも大阪航空局は、こうした違反行為を整備部長及び整備管理課長も認識しており、組織的な違反だったと断じたのだ。

 さらに国交省の事業改善命令からわずか3日後――。

 ヒラタ学園の小型プロペラ機が神戸空港で訓練中に胴体着陸。滑走路が5時間にわたって閉鎖され、計34便が欠航するトラブルが起きた。

 ヒラタ学園の安全管理への不信は深まる一方で、国交省の運輸安全委員会による調査や兵庫県警の捜査が始まる異常事態となっている。

 大阪航空局の担当者は、筆者の取材に対し、「事業改善命令で是正されなければ次は事業停止命令を出すことになる」と明言する。

 杜撰きわまりない管理体制のヒラタ学園に、地域住民の命を守るDH事業を任せていいのか。ヒラタ学園と杏林大学に聞いた。

 まずはヒラタ学園の副理事長兼航空事業本部長の平田光弘氏を直撃した。

――キャンセル率が他県と比べて非常に高い理由は。

「県によってバラバラで……。ちょっと確認させていただかないと」

――入札金額を大きく上回る支払いがある。

「飛行時間もありまして、その辺りをご相談させていただいたのではないか」

――国交省から組織ぐるみの違法行為を指摘されたが。

「(自分ではなく)課長の指示で現場は動くんですね。課長が指示を出し現場が回る形で、一部、部長も知っていた。現場は患者さんがいるので無理に飛ばそうという思いから、そうなったのでは。お恥ずかしい話ですが、情報が上がらず……」

 改めて書面で取材を申し込むと、キャンセル率については「専門分野ではないため回答出来かねます」。入札、契約については「守秘義務があるため申し上げることはできかねます」との回答に終始した。

 高いキャンセル率について杏林大学はこう答える。

「DHの役割は都道府県が抱える救急医療事情によって異なる。患者さんの重症度が低いとわかればDHはキャンセルされており、過剰な適用を避けることで安全な運用に繋がっているものと考えている」

 そして5月31日、杏林学園理事長で、救急医学が専門の松田剛明氏を直撃すると、深刻な表情で応じた。

松田剛明杏林学園理事長(公式HPより)

――ヒラタ学園の安全面が不安視されている。

「航空日誌を書いていない、不良報告をしていない。ルーティーンでやるべきことをやっておらず、『相当いい加減だな』と感じた。あり得ない。救急患者の命はもちろん、病院の医師・看護師の安全も脅かされるわけで、はなはだ遺憾です」

――今日もまたヒラタ学園は神戸空港で事故を起こしている。

「今日は丸1日学会で、知らなかった。(事業改善命令が出た後)彼らが『改善しました』というから信用したが、今日事故があったなら話は別。本当に安全か確認するまで、飛ぶなと指示を出しますよ。実は事務方に『他の会社はないのか』と調べさせているし、ここまで大ごとになっているのだから委託会社の変更も真剣に検討する。そう書いてもらって構いません」

 血税2.7億円を投じた肝煎り事業。小池知事のワイズスペンディング(賢い支出)の掛け声がむなしく響く。

2022年3月の就航式

(あかいししんいちろう/南アフリカ・ヨハネスブルグ育ち。「FRIDAY」、「週刊文春」記者を経て、2019年にジャーナリストとして独立。著書に『完落ち 警視庁捜査一課「取調室」秘録』(文藝春秋)などがある。)

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source : 週刊文春 2024年6月13日号