10月17日、俳優・西田敏行が亡くなった。死因は虚血性心疾患、享年76。そんな西田と同い年で50年来の友人でもある泉ピン子(77)が100分にわたって小誌の取材に応じた。

泉ピン子 ©︎時事通信社

「お別れには行かないことに決めた」

 あの日、私はテレビをつけっぱなしにして犬の散歩に出かけちゃったんです。帰ってきて犬のリードを外して部屋の中に入ると、突然、テレビから「俳優の西田敏行さんが急死……」って聞こえてきて。何がなんだか分からなくてテレビの前まで走ったら、あの人の写真が画面に映っていたの。そのときはもう、ポカンとしちゃって「なんなんだろう……」っていう思いばかりが募り、とにかく信じられない気持ちでいっぱいでした。

西田敏行 ©︎文藝春秋

 今日だって犬の散歩に行かなきゃいけないのに、それがトラウマになっちゃって怖くていけないんですよね。それに眠れなくて。寝ようと思って横になって目を瞑っていても、若い頃の思い出がどんどん出てくるの。なぜか今の白髪頭の姿じゃなくて、2人とも若くてさ。

 今日(10月19日)、西田君の家まで行けば最期のお別れができるって言われたんだけど、やっぱり行くのはやめました。昔、太地喜和子(1992年没)が亡くなったときに死に顔を見たら、それ以来、喜和子の笑顔を思い出せなくなっちゃってね。杉村春子先生(1997年没)にも「ピン子ちゃん、亡くなった人の顔を見ちゃだめだよ」って言われたから。だから西田君のお別れには行かないことに決めたんです。

 それにあの人、寂しがり屋だから会いに行ったら連れていかれちゃう気がするのよ。悪いけど私、あと2年はどうしても生きたいの。WBCが見たいのよ。その後ならいつでも呼びに来てくれていいんだけど……。

「当時、西田君は木造のアパートに住んでいて…」

 西田は、1968年(昭和43年)、青年座俳優養成所に入り、1970年に卒業。青年座のメンバーとなり、舞台を中心に活動の場を広げていった。一方の泉は、1966年に歌謡漫談家としてデビュー、1975年に女優業に進出した。そんな2人が初共演を果たしたのは、1976年に放送されたドラマ『いごこち満点』(TBS系)だった。

 初共演の時、西田君とは夫婦役だった。撮影前、プロデューサーさんに「あなたの相手役は新劇(の役者)だよ」と言われて、当時新劇といえば山﨑努さんとか渋い人が多かったから、どんな人かと期待していた。すると、「西田でございます~」って訛りの強い男が登場してさ。正直「え~~」って感じだったわよ(笑)。

初回登録は初月300円で
この続きが読めます。

有料会員になると、
全ての記事が読み放題
コメント機能も使えます

  • 月額プラン

    1カ月更新

    2,200円/月

    初回登録は初月300円

  • 年額プラン

    22,000円一括払い・1年更新

    1,833円/月

※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。

有料会員になると…

世の中を揺るがすスクープが雑誌発売日の1日前に読める!

  • スクープ記事をいち早く読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
  • 解説番組が視聴できる
  • 会員限定ニュースレターが読める
有料会員についてもっと詳しく見る
  • 2

  • 6

  • 20

source : 週刊文春 電子版オリジナル