ロカビリー歌手、俳優、落語家、プロデューサーと幅広く活躍するミッキー・カーチスさん。戦時下、上海租界での暮らしを振り返る。
俺は昭和13(1938)年に生まれた。第二次世界大戦が始まり、日本では国家総動員法が制定された年。戦争が近付き、両親はふたりともイギリス人と日本人のハーフだったから、日本に住みづらくなったんだろう、姉と俺を連れて上海の共同租界に移ったんだ。日本人の租界には住めず、オランダ租界の近くに家があった。外白渡橋の傍かな。国民学校には通ったけど、「アイノコ」と呼ばれて、いじめられて嫌だったね。

家には毎日のように憲兵隊が来た。スパイだと疑ってるんだ。憲兵は子供から情報を聞き出そうとするから、親には口をきくなと言われたね。時には憲兵が母親を連れて行くこともあって、それは怖かったな。
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source : 週刊文春 2025年8月14日・21日号
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