文春オンライン

連載僕が夫に出会うまで

ゲイの僕に「自分は変なんだ」と思わせた、大人たちの恐ろしい善意

先生は笑顔で「もう、大丈夫だからね!」と言った

2019/02/14

書籍「僕が夫に出会うまで

 

2016年10月10日に、僕、七崎良輔は夫と結婚式を挙げた。

幼少期のイジメ、中学時代の初恋、高校時代の失恋と上京、カミングアウト……。僕が夫に出会うまでを振り返り、何を考え、何を感じて生きてきたのかを綴った「僕が夫に出会うまで」が現在発売中です。

 

文春オンラインでは中学時代まで(#1#9)と、母親へのカミングアウト(#28#30)を特別公開中。

 

自分がゲイであることを認めた瞬間から,彼の人生は大きく動いていきます。さまざまな出会いや別れ、喜び、悲しみ、怒り──幾多の困難を乗り越えて、生涯のパートナーに出会い、そして二人は大きな決断を下す。

 

物語の続きは、ぜひ書籍でお楽しみください。

 周りがなんと言おうと、ぼくは「ふつうの男の子」だ。

 僕は北海道で生まれ育った。当時住んでいた団地の前には、ちょっとした公園が併設されていて、近所の子供たちが多く集まる。公園の中心には4人乗りのブランコがあって、それを限界まで漕ぐと「ガッタン」と音がするので、「ガッタン公園」と呼ばれていた。

幼少期の七崎良輔さん(著者提供)

 ぼくの得意な遊びは「ケッタ」といって、いわゆる「缶けり」の缶がないバージョンで、缶を蹴る代わりに「ケッタ!」と言って、街灯にタッチをする遊びだ。ケッタだったら1日中遊んでいられる。

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 冬になると、公園の遊具は大量の雪の下に埋もれる。それはそれで、雪を掘って遊んだり、自転車小屋の屋根から雪山にダイブをしたりして遊ぶ。北海道で生まれたぼくにとって、大きな雪山は、季節限定の遊具だった。ぼくは、みんなと同じように、よく外で遊ぶ「ふつうの男の子」だと、信じて疑いもしなかった。

 ただ、スポーツとなると話が別だ。

父から逃げるようにして過ごした休日

 ぼくの父と母は、どちらもスポーツマンで、父はオリンピック競技の実業団に入って、その協会で理事をしていた。母も学生時代まで同じスポーツをしていて、バリバリの選手だった。二人とも負けん気が強かったのだろうと思う。50歳をとっくに過ぎた今でも、熱量の多い人たちだ。

 そんな父と母は、ぼくが産まれる前から「最初の子は絶対男の子がいい!」そして、「息子はスポーツ選手にしよう!」と決めていたようだ。

 ぼくが小学校に通い出すと、父は、仕事の休みの日にも早起きをして、ぼくをキャッチボールに誘った。だけどぼくは、父とのキャッチボールが大嫌いだった。だって、グローブをはめると指にささくれができるし、なんだか手が臭くなる。

 だから、ぼくはいつも、父から逃げるようにして休日を過ごさなくてはいけなかった。それでもつい、父に捕まってしまうと、ぼくを見つけた父は嬉しそうに「良輔、キャッチボールするぞ!」と声をかけるのだった。

幼少期の七崎良輔さん(著者提供)

「この子は本当に自分たちの息子だろうか」

 ぼくがその誘いを、どうにか断ろうとしていると、母は少し寂しそうな顔をして、僕に言う。

「お願い、良輔。お父さんは、息子とキャッチボールをするのを、良輔が産まれる前から楽しみにしていたんだよ」

 そう言われて断れるはずがなかった。ぼくは、うなだれながら、グローブを手にはめた。いつだか父が買ってきた、真新しいグローブだった。

 イヤイヤやっていて、うまくなるはずがない。両親はそれを悟ると、次はサッカー、次は水泳、それでもだめなら少林寺拳法と、あらゆるスポーツをやらせてみたが、ぼくは両親の期待を裏切り続けた。父と母が「この子は本当に自分たちの息子だろうか」と、ぼくの前で首をかしげるものだから、いたたまれない気持ちになった。