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宿澤、奥、廣瀬……日本ラグビーがわずか8年で世界に追いつけた「陰の功労者たち」

2019/10/22
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 ではなぜ廣瀬を選んだのか。エディーはラグビーで「日本代表の文化」を作ることが大事だと分かっていたんです。

 じつはトップリーグが出来て日本代表の基盤となったと言っても、選手たちは各所属チームと契約し、給料をもらっている。だから例えば、サントリーだったり、パナソニックだったり、個人個人はロイヤリティ(忠誠心)を各チームに持っていた。

 エディーはW杯で勝つためには、日本代表になることに誇りを持ち、代表へのロイヤルティを持ってジャパンとしてまとまることが不可欠だと考えた。

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エディー・ジョーンズから「自分がラグビー界で経験した中で、ナンバーワンのキャプテンだ」と言われた廣瀬俊朗 ©文藝春秋

 そのために頭が良くて、献身的に尽くせて、みんなをまとめられるリーダーは誰か――エディーは95年に来日して東海大の監督になって以来、日本との関わりが深く、日本で誰が人格者なのかということをずっと観察していた。そして見抜いたのが廣瀬が持つキャプテンシーだった。

 北野高(大阪)から慶応大理工学部に進んだ文武両道の廣瀬は、高校、大学、東芝とずっとキャプテンを務めてきましたから。

 廣瀬自身「4年間ずっと日本代表のことを考え続けた日々だった」「チームのことを思って行動することに喜びを感じていた」と語っている通り、彼は合宿に来た選手に毎朝全員に声を掛けるなど「なぜ日本代表で集まるのか」「日本代表がなぜ勝たないといけないのか」、そういう意識を植えつけていきます。

 そうしてまとまった代表はエディーの厳しい練習を耐え抜くことができ、2013年にウェールズから歴史的勝利を挙げます。 

「スタメンを保証できない選手にキャプテンは任せられない」

 しかし廣瀬は翌年「スタメンを保証できない選手にキャプテンは任せられない」とエディーに告げられ、キャプテンの座をリーチに明け渡すことになります。

「心にぽっかりと穴が空いた」失意の廣瀬でしたが再び奮起。2015年大会の31名のメンバー入りを果たします。本大会で残念ながら試合の出番は回ってこなかったものの、練習で最後までひたむきに頑張る廣瀬を見て、他の選手も引っ張られるように実力を発揮します。廣瀬はエディーが見抜いた通り「献身的に尽くすリーダー」だったんです。

 そして日本代表は「ブライトンの奇跡」を起こし、それを見た姫野和樹、松田力也ら次世代のラガーマンたちが次々と「日本代表になりたい」と名乗りを挙げました。エディーの目論見通り、日本のラガーマンにとって代表への意識がガラリと変わったんですね。

 宿澤さん、奥さん、廣瀬……そういう人々の献身がまさにラグビーのパスのようにつながってきて、日本ラグビー全体が“ONE TEAM”になれた。その成果がジェイミージャパンの4連勝であり、ベスト8だったのだと思います。

試合前のウォーミングアップ後に全員で肩を組んで歩くジェイミージャパンの選手たち ©AFLO

(構成=文春オンライン編集部)

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