文春オンライン

人口12人の限界集落で起きた殺人放火事件「つけびの村」 犯人が膨らませた妄想とは

『つけびの村』(高橋ユキ)より

note

「当然のようになめこを受け取る」……村人たちが話していたこと

 文庫本27冊分の小さな文字は読めるというのに、私の字が読めないと平気で書いてくるワタルに腹が立った。

「古本一冊、100~200円位です。一日三冊まで差入れ出来ます」

 わざわざ教えてくれてはいるが、9回に分けて拘置所へ送る手間を考えて、また腹が立ってくる。これまで私は、さまざまな刑事被告人と文通をしてきた。本の差入れを求められることもあったが、多くの被告人たちは、一度に差入れできる数の上限まで、つまり3冊以下と、気を遣ってくる。

ADVERTISEMENT

「人付き合いを知らない」「当然のようになめこを受け取る」……いきなり27冊もの差入れを求めるワタルに、金峰地区の村人たちが話していたことを思い出した。もっとも、こちらが求めて始まった文通や面会なのだから、その対価であるとワタルは考えているのかもしれないが、たしかに、人付き合いにおける気遣いや呼吸を分かっていない。

一審の担当弁護人がワタルに宛てた書面

 ワタルから届く手紙の中身はほとんどが取り扱いに困る「資料」だったが、その中に重要なものをひとつ見つけた。3通目の手紙に入っていた、沖本浩【ゆたか】氏(一審の担当弁護人)がワタルに宛てて送った書面だ。その書面の空白部分には「ご質問の第3点について回答します」と手書きで書かれているが、それも直筆ではなく、その原本がコピーされたものだった。

 沖本弁護人は、こう返答している。

「岡田医師から、『妄想性障害の患者に対して、新たな情報を提供すると、これが鍵となって妄想が拡大する傾向がある』旨聞きました。それまでの妄想と新たな情報が結びついて、妄想が広がって行く現象で、鍵体験というものだそうです。(中略)事件の当事者である保見さんに証拠書類を見てもらい、その真偽について意見をもらうことは、真実発見のためには重要なことです。ですが、保見さんの場合、証拠を差し入れることが、保見さんの精神状態に悪影響を及ぼし、結果的に弁護活動にも支障を来すおそれがありました」

©iStock.com

 そのため沖本弁護人は、証拠書類をワタルに差入れるのではなく、接見の際に“見せる”だけになったと釈明している。しかも「捜査段階で見せられたものと違うなどと保見さんが言っていたことも弁護人は聞いています。差し入れた証拠に含まれていたか否かは確認中ですが、この靴の写真を保見さんに見せなかったことはありません」と、ワタルが求める証拠書類はすべて見せていたともあった。

 面会でワタルは、沖本弁護人が捜査資料を一部抜き取って差入れしている、と私に言っていた。だがそれは隠されていたわけではなかったようだ。

最高裁の弁護を担当したのは“無罪請負人”

 先日面会した時に私は、彼がこだわる靴の写真の証拠書類を何枚も見せられた。最高裁の担当弁護人はこれを差入れたのか……誰だろうと名前を聞いて、驚いた。関東近郊では“無罪請負人”などと評される、有名弁護士だったからだ。

「これまでの弁護士の中で一番大した人だなと思います。言ってくることとか、面会でこう書いてくることとか、大した人だなと」

 ワタルは満足そうだった。

 だが、私は心配だった。

 弁護方針によっては、彼の妄想をさらに深める結果になるのではないかと案じたからだ。無罪を訴えるため、そのための理論武装の準備のため、すべての証拠書類を手元に揃えて検討すれば、さらなる「鍵体験」が起こり、ワタルは一層深い妄想の世界へ旅立って行ってしまうのではないか。