――このたびは『羊と鋼の森』(2015年刊/文藝春秋)での本屋大賞受賞、改めておめでとうございます。少し前にお会いした時はまだピンとこないとおっしゃっていましたが、授賞式を終えて、さすがに実感がわいてきているのでは。
宮下 授賞式で書店員さんたちが本当に笑顔で「おめでとうございます」と言ってくださったときにようやく「ああよかった」と思いました。やっと嬉しいという気持ちが出てきた感じでしたね。でも電車の中吊りで広告を見た時には、「ああ、すみません!」という気持ちになって。もう私とは別に歩き出しているんだな、頑張って行っておいで、という感じです。遠くまで行って、みんなに可愛がってもらえたら嬉しいです。
――『羊と鋼の森』は高校生の時に学校ではじめてピアノの調律を見た外村少年が、ピアノを弾いたこともなかったのにこの職業を目指し、少しずつ歩んでいく姿が描かれます。宮下さんご自身も、小さな頃からピアノを弾いていたんだそうですね。
宮下 そうです。私が3歳の時に買ってもらったピアノがまだうちにあるんです。もう40何年も経っているので調律師の人に「まだ大丈夫ですか」と訊いたら、「大丈夫です。このピアノは中にいい羊がいますから」と言ってくれて、そこから始まったというか。「えっ、どういうことですか?」と訊いたら、「昔の羊はすごくいい草を食べてのびのびと暮らしていたから、毛がすごくいいんですよ」という話をしてくださいました。ピアノは羊の毛できたフェルトでできたハンマーで弦を叩いて音を出す楽器ですから、そのフェルトの部分のことを指していたんですよね。調律師の人ってこういう言葉で話すんだ、というところにすごく興味を持ちました。でも、その時はただ調律師の話を書きたいということだけだったんです。
その後、2013年に1年間、家族で北海道に移り住んだんです。山の中の家で、毎日朝起きてから眺める景色が素晴らしくて。毎日散歩して、こういうところにいると言葉は要らないなという気持ちだったんですが、作家として「言葉は要らない」というのはどうなんだろう、という気持ちもありました。言葉が要らないなら作家も要らないということですから。
私は音楽が好きなんですけれども、ある日「音楽っていうのも、言葉が要らないな」って思ったんです。音楽はダイレクトに感動を伝えるものだから、言葉があったらむしろ野暮なんじゃないかと感じて。その時に「あれっ、私は言葉を使って物語を作る仕事をしているはずなのに、私の好きなものって言葉にできないものなんだ」と気づいたんですね。そこで「じゃあ、音楽と自然というものを結び付けたら、もしかするとすごくいいものが書けるんじゃない?」って思ったんです。なぜその二つを結びつけるとそうなるのか、自分でも全然よく分からないんですけど、その時は「あ、書ける」って思いました。その時に、「私はもともと調律師の話を書きたかったんだ、だからこれはこの森で調律師が生まれる話なんだ」となって、そこから生まれてきたという感じです。
――だから宮下さんは福井在住なのに、この物語の舞台は北海道なんですね。自然描写がとても美しかったです。北海道での1年間の記録は『神さまたちの遊ぶ庭』(15年刊/光文社)という一冊の本になっていますが、この体験は今後の創作に変化を与えそうですか。
宮下 北海道暮らしで、私の人生そのものが変化しました。執筆活動にも影響があるに違いないと思っています。自分でも楽しみです。