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2019年M-1・全員インタビュー なぜ“神回”になったか

ミルクボーイが明かす「M-1前に『コーンフレーク』が『モナカ』より強くなった」

ミルクボーイが明かす「M-1前に『コーンフレーク』が『モナカ』より強くなった」

M-1王者ミルクボーイインタビュー#2

2020/03/01
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「コーンフレーク」が「モナカ」よりも強くなった

――ちなみに予選のネタ選びはどうされていたんですか。

内海 1回戦は「登り棒」、2回戦は「デカビタ」、3回戦は「コーンフレーク」、準々決勝は「最中」、準決勝は「コーンフレーク」でした。

 

――当初の目標の準決勝進出がかかった準々決勝で「最中」を選んだということは、「最中」の方が勝負ネタだったわけですか。

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内海 そうですね。僕らの中では、今まででいちばんウケたのが「最中」だったんで。

――それなのに準決勝はあえて「コーンフレーク」でいったわけですね。

内海 「最中」でいくつもりやったんですけど、周りの人に聞いたら「コーンフレーク」の方がええんちゃうかという意見が多かったもんで。それでもう一度、「コーンフレーク」をブラッシュアップしたら強くなったんですよ。

――強くなったというのは?

内海 強い言葉を増やしたというか。たとえば「パフェのかさ増しに使われてるらしいで」というところのツッコミは、3回戦までは「法律スレスレくらい入ってるもんね」で終わってたんです。そこに「店側がもう一段増やそうもんなら俺は動くよ」という言葉を足した。そんなんをちょこちょこっとやったら、ネタとしてぐんと強くなった。その手応えがあったんで、準決勝はこっちでいってみようと。そうしたら通ったので、決勝1本目は、自然と「コーンフレーク」になりました。

 

【続き】M-1優勝したのに……ミルクボーイに聞く「東京進出しません」宣言の理由とは?

写真=山元茂樹/文藝春秋

ミルクボーイ/駒場孝(ボケ担当)と内海崇(ツッコミ担当)のコンビ。駒場は1986年2月5日大阪府出身、内海は1985年12月9日兵庫県出身。大阪芸術大学落語研究会で出会う。

 大学在学中の2006年に仮コンビとして「大学生M-1グランプリ」に出場し、優勝。同年、M-1グランプリにもアマチュアとして初出場し、2回戦進出。2007年7月にbaseよしもとのオーディションを受けるにあたって正式にコンビ結成。2010年、16年、17年、18年とM-1準々決勝進出。19年初の決勝で優勝を果たす。

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