史上最高と言われる2019年のM-1。何が神回を作ったのか。出演した漫才師たちへの連続インタビューで解き明かしていく。
一風変わった雅やかな雰囲気で大会を盛り上げた「すゑひろがりず」。彼らはいかに狂言風漫才に辿り着いたのか? そして大舞台を経験した今思うこととは?(全3回の3回目/#1、#2へ)
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「全員がすゑひろがりずの決勝はないと思ってた」
――そもそも、すゑひろがりずに関しては、M-1では圧倒的に不利だと思っていました。和装に小鼓となると、M-1のような本寸法の漫才コンテストでは、どうしてもイロモノに見られがちじゃないですか。正直なところ、よく決勝の舞台に選ばれたなと。
南條 それは僕らも思いました。そこを打ち破りたいと思いつつやってはいましたけど。
――決勝進出者の発表のとき、お2人は最後の9組目に呼ばれたんですよね。8組目までに自分の名前が呼ばれなかったときは?
南條 まあ、そうやろな、と。もうないと思ってました。ほんとに。
三島 和牛さん、アインシュタインさんもまだ呼ばれていなかったので、どちらかだろうと。
――それだけに名前を呼ばれたときはびっくりされましたか。
南條 びっくりですよ! どこからか、えっ? って声が上がってましたから(笑)。
三島 あそこにいた全員が、すゑひろがりずはないと思ってたと思うんで。
M-1に漂う“テツandトモ”トラウマ
――鳴り物を使う決勝進出者は2002年、第2回大会に出場したテツandトモ以来でした。そのテツandトモは、当時、審査員を務めていた立川談志に「お前らはここに出てくるやつじゃないよ。もういいよ」と、ある意味で、場違いだと宣告された。そのトラウマが今もM-1にはあると思うんです。
三島 あの時のシーンは過ぎりましたね。直系のお弟子さんである(立川)志らく師匠が審査員にいらっしゃいましたからね。でも、志らく師匠も92点で、まあよかったみたいな感じだったので安堵しました。
――先ほどイロモノのように見られると言いましたが、じつは、漫才のいちルーツと言われる江戸時代に流行した三河万歳は、お2人のような形だったわけですよね。和装で、小鼓と扇子を持って、祝いの席でお祝いの言葉を唱えるという。じつは邪道どころか、王道と言ってもいい。
南條 のちに調べて知ったことなんですけどね。やり始めたときは、そんなことまったく考えていなかったので。
――すゑひろがりずは、もともとトリオだったのが、11年に1人が抜けて現在の2人になった。