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南條 いや、合コンのネタは、いちばんやり慣れてはいたのですが、けっこう動きのあるネタでマイクから離れちゃうんで、使うのを控えてたんです。

三島 細かい話なんですけど、準々決勝会場のニューピアホール(竹芝)は、けっこう広くて、センターマイクに声をちゃんと入れないと客席に伝わらないと思ったんです。なので、ニューピアホール用に動きの少ないネタを一つ作っていて、それで準々決勝を突破できたんです。

南條 今年の目標は、準決勝進出だったんです。なので、そこでひとまず目標を達成できた。それで、さて、次のネタ、どうしようかなと。そうしたら、周りの人に、合コンのネタがあるやんみたいに言われて。ただ、準決勝もニューピアホールだったので、マイクからあんまり離れないよう、ニューピア仕様に仕上げ直したんです。結果的に、それが当たりました。

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「嫁さんには14年分、恩返しせなあかん」

――ちょっと話は変わりますが、お2人とも結婚されているんですよね。

南條 そうなんです。

――決勝に進出したことで、2人ともバイトを辞め、今は芸人としてのお仕事に専念できる環境が整ったと聞いております。奥様はさぞかし喜んでいらしたでしょうね。

三島 ほんと喜んでましたよ。

南條 僕は嫁さんとは芸人になる前から付き合っていて、14年間、頼り切りだったんで。これから14年分、恩返しせなあかんとは思ってるんですよ。

――『M-1アナザーストーリー』(朝日放送)の最後のシーンで、ミルクボーイの駒場さんが、奥様に、両親が大喜びしている動画を見せてもらって号泣するシーンがあったじゃないですか。今回出場したコンビには大なり小なり、同じような物語があったんでしょうね。

南條 あのシーンは芸人は全員、泣いたんじゃないですか。

三島 売れているごく一部の芸人を除いて、全員、あれなんですよ。

【初回】すゑひろがりずが振り返るM-1「かまいたちさん、和牛さんの後は僕らに行かせてと思えたワケ」へ)

写真=山元茂樹/文藝春秋

 

すゑひろがりず/三島達也(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。大阪NSC28期の同期生。

別々のコンビを経て2011年に結成。14年、東京に活動拠点を移す。14、15年にキングオブコントで準決勝進出。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、芸風に合っていなかったため、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。2016年、2018年にM-1準々決勝進出。2019年初のM-1決勝で8位に。