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『ペスト大流行』著者が語る、最期に家族も会えない「志村けんさんの死」と「非常時の看取り」

科学史家・村上陽一郎さんインタビュー #1

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「患者は原野に放置せよ、ペストを町に持ち込んだ人間は焚刑」

――ご本では当時の隔離の様子を、イスパニアに住むアラビア人の医家、イブン・ハーティマーの書き残したエピソードの数々を引きながら紹介されていますね。

村上 ペストが襲う中、セビリアの監獄に閉じ込められていたイスラム教徒は難を免れたとか、全財産をつぎ込んで外壁を作った男とその集団は罹患することなく生き残ったという記録ですね。こうした私的で断片的な措置が公共的な政策になるまでは、もちろん長い時間がかかっています。歴史上最初の公式で法的な隔離政策は、1374年に発布された、イタリアはレッジオのベルナーボ公によるもの。これは大変厳しいもので、患者は原野に放置せよ、その患者を運んだ者は10日間町に入ってはいけない、法を侵した人間は財産全部没収、ペストを町に持ち込んだ人間は焚刑。焚刑というのは、つまり焼き殺される。

――感染者がいると疑わしき船を停泊させる検疫もその頃、ベネツィアで始まったとか。

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村上 40日間船は留め置いて患者は出るに任せて、それでも生き残った人が陸に上がってよろしいという、これもひどい扱いですが。この四十日を表すクワランテーナ(quarantena)が、英語のquarantine(隔離)の語源となっています。

 

噂やパニックは「フェイクニュース」から

――黒死病の時代とコロナの現代が重なる部分としては、噂やパニックが「フェイクニュース」から生まれるということもありませんか?

村上 そうですね。14世紀は主にユダヤ人が標的になったわけです。多くの人々が自分勝手にユダヤ人が毒を撒き散らしていると考え、ユダヤ人が迫害にあった。同様にある地方では「キリスト教の敵に注意せよ」という警告が駆け巡りました。ある地方では貧民が空気を汚す者として指弾され、またある地方では逆に貴族が元凶とされた。ユダヤ人のいない地域ではハンセン病患者、アラビア人、墓掘人が糾弾の対象とされたという記録もあります。

 

 1923年の関東大震災では朝鮮の人たちがつらい目に遭わされましたよね。いつの世になっても、非常時になると人々はスケープゴート、不満や怒りを向けるなんらかの標的を必要としてしまうのです。非常に残念なことではありますが、今回のコロナ禍でも、なんですか、自粛警察?

――はい、マスクせずに外を歩いている人を画像付きでSNSに投稿して叩くような人たちも出てきましたね。「コロナ八分」というのもありますし。

村上 黒死病の時代も今も、そんなに変わっていないんじゃないかと思ってしまいますね。