ペスト大流行』の緊急復刊が決まり、近著に『死ねない時代の哲学』がある科学史家の村上陽一郎さんは、現代において「死」をあってはならないもの、棚上げしておきたいものと捉える傾向が強まっているのではないかと語ります。科学哲学の泰斗の目に、コロナ禍の日々はどう映っているのでしょうか。(全2回の1回目/#2へ続く)

村上陽一郎さん ©文藝春秋

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緊急復刊された『ペスト大流行』

――今から37年前に刊行された『ペスト大流行』。「緊急復刊が決定」と岩波新書編集部がツイートしたのが3月4日のことでした。ご自身では、この復刊のお話をどう受け止められたでしょうか?

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「岩波新書編集部」のツイート

村上 刊行以来、何度か刷り増しをして世に出ていたとはいえ、自分にとっては遥か彼方、昔の本ですのでね。びっくりしたし、戸惑いました。

 2月頃からカミュの『ペスト』が売れ出しているとは聞いていたんです。2月はダイヤモンド・プリンセス号の検疫開始、政府がコロナ対策専門家会議を設置するなど国内でもコロナについての大きな動きが続いた時期でした。とはいえ、それでカミュが売れるというのも不思議なことだなあと、それくらいには思っていました。ところがそこへ、岩波とは別の出版社から「『ペスト大流行』を文庫にしたいのですが」と打診があったんです。

『ペスト大流行』

――文庫化の依頼があったんですか。

村上 ええ、それで「考えます」と言って家へ戻ったら、今度は岩波から「『ペスト大流行』を刷り増ししますので、ご了解ください」と電話がありましてね。それが「復刊」ということになるんでしょうが、それからは、一週間おきくらいに、三回か四回でしょうか、何千部の増刷が決まりましたと連絡が続いたというわけです。

 私にとってはもちろんありがたいことです。ただ正直、皆さん、この本にどんな期待を持たれているのか、わからないところもあるんです。

――過去に現在を重ねて教訓や学び、あるいは安心感を得たい人は多いのではないでしょうか。『ペスト大流行』は14世紀に、ヨーロッパで三千万人近くの死者を出した黒死病、すなわちペストをめぐる記録からその実態に迫ったもので、人々の対応やパニックの様子は、今かと錯覚するようなところもありました。

村上 そうかもしれませんね。あの本ではっきりさせてあるのは、1348年を出発点として蔓延したペストに対して「隔離」という政策がとられていたという事実。あの頃は病原微生物という考え方はなかったわけで、何が原因かわからないが、人々が次々と亡くなっていく現実に直面していた。当時の人々は様々な説を唱えます。地中から毒気が出て人を死に追いやるという「瘴気説」。それから星の影響で人々が倒れていくんだ、という占星術による学説。そんな、今から考えれば荒唐無稽な説しかなかった時代にもかかわらず、自然と「隔離」という政策がとられるようになった。