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最期の面会さえできなかった、志村けんさんの家族

――コロナ禍の中での人と死の関係で言えば、三月に志村けんさんのご家族が、感染リスクを避けるために最期の面会さえできなかったことが、多くの人にショックを与えました。

村上 これも私の昔話になって恐縮ですが、父親が亡くなった時に、今ではエンゼルケアと呼ぶそうですが、まあ死体処理ですね、それをしました。母が湯灌と清拭をして、体液が漏れ出すことのないように、耳や鼻などに綿を詰める。私もそれを手伝いました。人が死ぬということを、自分の肌ではっきりと感じる経験でした。

 ところが、パンデミックという非常事態は、こうした家族の死に立ち会うことさえ、強制的に排除するわけです。志村さんのお兄さんが、直接さよならを言うことができなかったという悲しみはとてもよくわかります。また、志村さん以外にもそういった状況に置かれた方々がいること、その悲しみもわかります。ただ、残念なことに非常時とはそういう時期であることは歴史が繰り返している通りなんです。14世紀のペストで言えば「あとは神の手に委ねられる」として、患者を見放して介護人も医療者も、さらには死を看取る義務と責任があるはずの聖職者まで逃げ出さざるを得なかった。

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――強制的に死に立ち会う選択肢が奪われるわけですね。

村上 無差別に死をもたらすのみならず、死から強制的に遠ざけてしまうのがパンデミックの恐ろしさです。そしてさらに言えば、命の選別を強制的に迫る。医療崩壊を防ぐために救う命と救わない命を選別する「トリアージ」は、今回のコロナの中、医療現場で行われました。トリアージは災害や戦争でも行われる行為であるわけですが、こうした生と死に関わる強制的な選択を強いられるのが非常時なのです。

 

戦後七十五年、日本人にとっての至高の価値とは

――この状況をコロナと人類の戦争であるように喩える政治家もいますが、戦時体験もある村上先生にとってそれは、どんなふうに聞こえますか?

村上 戦争中はもっとひどかったですよ。夜は灯火管制でわずか電球一つを黒い布で覆って明かりを得ていたし、食べ物は配給のものしかない。私の母もそうでしたが、パーマネントかけただけで怒鳴られて非国民扱い。まさに「自粛警察」ですよ。ただ、あの頃それらをどのくらい心理的抑圧と考えていましたかね。非常時だからしょうがねえやって、思っていたかもしれない。

 でもね、終戦から七十五年、戦争から解放された日本人にとっての至高の価値とは生きることそのものだったと思うんです。経済的繁栄もそうですし、生き方の社会的選択肢が増えたこともそうでしょう。もちろん医療の発達も然り。人間にとって生きやすい環境は作られつつある。しかし、その過程の中で隠されてきたものは「死を思うこと」だったのではないでしょうか。ですから、これはあえてこういう言い方をしますけれども、コロナによって我々は本当に価値のある経験をしつつあるのだと思います。私たちは、いつ死ぬかも分からない、そしていつ非常時に巻き込まれ、非常時の死を迎えるかもしれない。そうした宿命を持った存在なんだと、ようやく自覚できるようになったのではないでしょうか。

写真=末永裕樹/文藝春秋

むらかみ・よういちろう/科学史家、科学哲学者。1936年東京生まれ。東京大学教養学部卒、同大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、国際基督教大学教養学部教授などを歴任。著書に『ペスト大流行』、『コロナ後の世界を生きる』(ともに岩波新書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)など。

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2020年2月20日 発売