大学入試の変化や非認知能力ブームのなかで、「子どもの体験」が課金ゲーム化している。

 絵本作家の五味太郎さんと教育ジャーナリストのおおたとしまささんが「体験格差」をキーワードに、商品化する「子どもたちの体験」について語り合った。

*新刊『子どもの体験 学びと格差』(文春新書)で実現したインタビューを、書籍非掲載部分も含めて再構成してお届けします。

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©文藝春秋

おおた 今日は子どもの「体験」について伺いたいと思っています。いま、「体験格差」ということが言われているんですね。夏休みなんだけれども、家族とどこにも行ったことがない。夏休みの思い出の作文に書くことがないという子がいる一方で海外まで行くスタディーツアーとか、無人島キャンプとか、そういう高額な体験商品みたいなものが出てきている。

五味 という状況があるんだね。

おおた 要するにご家庭の経済状況によって子どもが体験できることに大きな差があるっていうことで、習い事とかあるいはキャンプとかに行けないご家庭にいわゆるクーポンを配布して、体験してねっていう活動をしている団体もあります。それ自体は素晴らしい活動だなというふうに思いつつ……。

五味 思ってねーよな。

おおた 思いつつ。だけども、そもそも「子どもにとって大切な体験って何なんだろう?」とか、あるいは、五味さんはよく「大人が子どもを森かどこかに連れて行って恩着せがましく何かを教えようとするのは下品だ」とおっしゃっていますけれど、大人が子どもに何かを体験させたいっていうときに「履き違えちゃいけないよ」っていうポイントもあるのかなと思いまして、その辺のことを今日は伺いたいなと思います。

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子どもの成長って何だ?

五味 産業資本主義ってこんなもんよ。アダム・スミスの罪だろうな。産業資本主義の思考で物事を考えるようになると、「格差」っていうものを一つのキーワードにして「格差埋め産業」ができる。でしょう。それだけの話だよね。たとえば「地球に優しく」って言葉があるじゃないですか。「地球環境を守ろう!」と。誰でも「たしかになあ」と思う産業の形を作ったわけだよね。もともとは「民主主義を守ろう!」ってお題目だったんだよ。そうやって民主主義じゃないところに戦争して。でもそれも限界だって言うんで、「地球環境を守ろう!」に変わったわけ。

おおた なるほど。

五味 だから短絡的にいうと、「子どもの教育のため」っていうのは、子どもは商売になるなと思ってる一派がいるってことよ。「子どものための本」っていうのもそっから派生してくるわけ。そこにちょっと頭きて、抗って、気がついたら50年経ったのが五味太郎だよね。

おおた 絵本は感じるメディア。まさに体験ですね。それなのに、せっかく楽しく読んでた子どもに、最後に教訓めいたメッセージを押しつけるのは嫌だって、以前もおっしゃっていました。

五味 違うんだよねって。学ぶってそういうことじゃないんだよねっていう。「子どもの成長って何だ?」っていうのを科学的にとらえる視野がね、この2世紀くらい進んでないんじゃないかな。