「格差」って個性の濃さの話だから

五味 要するにね、オリジナリティにびっくりしたい。オリジナリティに焦りたい。オリジナリティに困りたい。オリジナリティに苦しくなりたい。ぜんぶそれ、俺の問題にしてほしい。いまは器用な言葉を使えるようになったからこう言えるんだけど、そのころはよくわかんないから、何しろ「ちょっと、ほっといて!」って。自分自身の体が知るという意味でのオリジナリティを知っていれば、「体験ツアー」なんて言葉は浮かばないよ。もっと言えば、体が知るってことだから、すべてが体験ツアーだよな。当たり前。だから体験っていうようなものに格差なんてことをやっぱり考えちゃいけない。それは絶対にいけない。

おおた 「体験」と「格差」と繋げて四字熟語になった時点で違和感……。

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五味 違和感なんてもんじゃないよ。いい悪いじゃなくて、「そんな視点、どこから出てくるの?」っていう感じ。無理くりにつくった産業? 無理くりにつくったものは勝手に消えていくから放っておけばいいんだけど、大人の品が良くないと、やっぱり社会はちょっときついよね。体験を商売にするのも品はないけど、いいじゃない。「それは間違っている!」っていうふうにやると、そのひとも品が悪くなっちゃうから(笑)。

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おおた やっちゃいますけどね。

五味 体験の格差以前に、「体験学習」「体験ツアー」っていう言葉がまず間違ってるってこと。国語の試験通りませんよ、それは。体験に格差があるなら、個人に格差があるってことですよね。個人に格差があるのかって! 俺だって頑張ったけど身長170センチにもならなかった。190センチくらいになって街を歩いてみたいよ。これ、格差だよな。

おおた 体格格差!

五味 でも身長190センチのやつに聞くと、「これはこれで大変なんですよ」って言うよ。格差、格差って、個性の濃さの話だから。体験なんていうものは比べたりするもんじゃまったくない。それぞれにみんな苦労するんだから。お金があったってね。

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おおた それぞれの立場でそれぞれの体験がありますね。

五味 僕のガキのころからいたのね。お金持ちがいて、「この前スペイン行きました」とか。夏休みの話をしてもそいつだけ突出しててさ。すごく珍しいチョウチョを外国で採取してきたりしてさ、近所で昆虫採集していたやつらがしらけたりしてさ。でも結局そいつも普通のやつになった。

おおた そうなんですよね。子どもからしてみれば海外のチョウチョもそのへんでとったチョウチョも変わらないし。そこにあたかも格差があるように刷り込んじゃうのは産業資本主義に毒された大人なんですよね。

次の記事に続く 「褒めて育てるとか、下品だよね」五味太郎さんが感じる子どもに体験を消費させる大人たちの共通点