文春オンライン
欅坂46ドキュメンタリー映画に見た「悲劇」と「未来」 新グループが目指すのは‟再開発後の渋谷”ではない

欅坂46ドキュメンタリー映画に見た「悲劇」と「未来」 新グループが目指すのは‟再開発後の渋谷”ではない

10月13日は「欅坂46」最後の日

2020/10/13
note

「異色」だった欅坂46のドキュメンタリー

 欅坂のドキュメンタリーと前後して、8月には姉妹グループである日向坂46のドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』が公開されている。同作とくらべると欅坂のドキュメンタリーがいかに異色かがわかる。日向坂のドキュメンタリーには、欅坂のアンダーグループとして結成された同グループ(当初の名前はけやき坂46)が、当初は位置づけもあいまいでメンバーたちも悩んでいたのが、しだいに存在感を増し、3年目にして現在の名称となって独立するにいたるという明確な物語があった。これに対し、『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』は、さまざまな要素が交錯し、ひとつの物語には収まり切らない。

 欅坂には、デビュー以来、先日のとおり平手友梨奈という絶対的なセンターがおり、グループは彼女に牽引されながら一躍注目を集めるも、やがてメンバーたちが常に先を行く彼女についていけなくなり、活動が行き詰まってしまう。今回の映画は、その過程を記録した部分だけをとれば、“悲劇”にも読める。

 とにかく、ある時期を境に変わってしまったグループ内の「以前」と「以後」のギャップがはなはだしい。結成当初は、平手をはじめみんなあどけない顔つきで、日々新たな体験をするたび無邪気にはしゃいでいたのが、しだいに平手の孤立感が強まり、グループの現場には常に緊張が走るようになる。劇中では、メンバーが新規にインタビューに応えて、当時の様子を語っているのだが、当の平手はそこでの登場はない(監督の高橋栄樹は映画のパンフレットで、何度かインタビューを依頼したものの快諾を得られなかったと話している)。そのため、孤立していくなかで彼女が何を考えていたのかは、結局わからずじまいだ。

ADVERTISEMENT

平手(右から2人目)は2019年に日本アカデミー賞新人賞も受賞 ©文藝春秋

際立つ平手の存在感とほかのメンバーの苦悩

 それでも本作における平手の存在感はやはり圧倒的だ。とりわけ、昨年のグループ初の東京ドームのコンサートで、欅坂の代表曲のひとつ「不協和音」でメンバー全員ですべてを出し切ったかに思われたのが、そのあと今度はひとりでステージに立ち、ソロ曲「角を曲がる」を一心不乱に踊る姿にはすっかり魅入られてしまった。じつはこのとき舞台裏では、彼女は終始ステージに上がるのを拒んでいた。だが、いざステージに上がると、人が変わったように全力でパフォーマンスを披露するそのギャップには驚かされるばかりだ。この映画をもって、欅坂46の平手友梨奈は伝説になったと言いたくなるほどである。

2017年に発売のシングル「不協和音」はグループの代表曲に

 その平手は、ケガなどを理由にたびたびライブを欠席してきた。最初に公演を欠席したときは、グループに激震が走ったが、その後、平手の穴を埋めるべく、ほかのメンバーたちがそれぞれ試行錯誤しながらも代役を務めるようになる。

 そのひとり、小池美波は、シングル曲「二人セゾン」で、平手に代わってソロのダンスパートを担当することになったが、どうしても彼女のようにはできないと思い悩む。それに対し振付師のTAKAHIROが向き合う様子がよかった。このとき彼が小池を励まそうと、自分とくらべるべき対象は、平手やほかの誰でもなく、それまでの自分だけであり、少しでもよくなったと思えばその分だけ前進したことになると語りかけていたのには胸を打たれた。

小池美波は2019年にソロ写真集も出版

 TAKAHIROは、劇中のインタビューで、「子供(メンバー)に対する大人の責任とは何か」と問われ、「ずっと見続けることじゃないでしょうか」と答えていたのも印象深い。