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「この野郎、変形させるぞ」40名の不良に特別教育…犯罪常習兵も震えた日本軍“地獄の更生施設”

陸軍教化隊・軍隊の地獄部屋 #1

2021/03/31

source : 文藝春秋 1970年8月号

genre : ニュース, 社会, 歴史

note

「この野郎、変形させるぞ」

 やがて不寝番交代になると、次の当番にムチの申し送りである。さすがに報復の本人ではないからやや弱まるが、つぎつぎに申し送られて明け方まで7時間半、ムチにはじまり、スリッパとゲンコツの雨だから、私の頭の中では、煮えたぎるものが吹き出しようもなく渦を巻き、ついにこりかたまる。――「こいつらは敵だ」そして思わずどなってしまった。

「なァにが上官だ。天皇陛下をカサに着やがって!」

 生意気なヤツという評価の上に、さらに危険思想のレッテルをはられることになった。冗談じゃねぇや、こちとら自慢じゃねぇが小学校しか出てねぇんだ。そんな頭に思想的訓練もなにもあるものか。笑ってやりたいがそのヒマもないほど、それからは毎晩なぐられた。

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「この野郎、変形させるぞ」

3時間の逃亡で「重営倉3日」に

 古年次兵の私的制裁は、ほとんど私1人で引きうけた形になってしまった。それにしてもよくからだがもったものだと思う。これもマラソン鍛練のたまもの、もっとも匪族に勝つためのつもりが、なぐられるために鍛えたようなものではあった。しかしこのからだの自信が、私がどんな環境下にあってもくじけない基盤になっていたことはまちがいない。頭はよくなくてもいい、からださえ強ければ、精神的にも耐え得れば、世の中こわいものなし、という人生観ができたのである。

 私は、なぐられながら考えた。このままでは殺される……こいつらを殺して俺も死のうか……殺るんなら20人は殺ってやる……、毎日毎日、そう考えた。あとから聞いた話だが、満州のある部隊でマークされたフダツキの5人の兵隊が、ていよく危険地へ転属されることになった。怒ったその5人は、軽機関銃を盗み出して将校集会所を襲い、三方から射ちまくったという。戦地なら、手榴弾一つあれば私もやっていたかもしれない。

 私は結局、逃げ出すことにした。おふくろの嘆きもあろうし、死にたくもない。満州へ逃げて馬賊にでもなってやれ。大マジメに考えたのである。

 脱柵、つまり脱走が第1回の重営倉の理由である。夜陰に乗じて塀をのりこえ、外へは出たものの、だらしなく最初の元気をなくして、おふくろ恋いしや、浅草の実家へ直行したら、張りこんでいた憲兵に捕まった。わずか3時間の逃亡、なかば自首するようなものであった。それでもコトは表沙汰になる。私的制裁の段階ではない。平時は6日、戦時は3日が限度で、それ以上の脱柵は軍法会議にまわされる。初犯で3時間の私は、まず重営倉3日を申し渡された。