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今やまともに一人で立つこともできず……“地位”も“名誉”も失った「住友銀行の救世主」はいま何を思うのか

『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』より #2

2021/04/07
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國重を守ろうとした西川善文という人物

 ひとしきり母の話をしていた國重が、ふとこう話題を変えた。母のことから、思い出したようだった。

「児玉さん、最近、西川さんの様子は何か聞く? まだ死んだりしてないよね」

 國重が口にした西川とは、三井住友銀行頭取だった西川善文のことだ。強烈な個性で三井住友銀行だけではなく、金融界を代表する顔であった西川は、専務であった当時、國重が子会社に飛ばされる時、身体を張って頭取、巽外夫にそれを思い止まらせようとするなど、最後まで國重、そして國重の妻を守ろうとした。

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 西川の自著『ザ・ラストバンカー』(講談社)にこんな一節がある。

『私が磯田さんの墓参りをしたのは、このときが初めてである。磯田さんの秘書を長らく務めた女性の方がいて、私の元部下と結婚したために親しく連絡を取り合っていたのだが、その方から「磯田さんのお墓参りに一緒に如何ですか」とお誘いがあって行くことにしたのだ。「住友銀行の天皇」とまで言われ、アメリカの金融専門誌で「バンカー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた金融界の大立て者の墓にしては、実に質素なものだった』

 この中に出てくる磯田の元秘書が國重の元妻なのである。

 西川が住友銀行に入行を決めるきっかけとなったのは、磯田だった。面接に来た大阪大学の学生だった西川を住友銀行に強く誘った。また、銀行家となった西川も終生、磯田を尊敬し続けた。生涯、西川の目標は磯田だった。

 住友銀行からほっぽり出された國重にとって、西川の存在は何よりも強力な守護神だった。楽天入りした國重の背後には、いつも西川という後光がさしていた。

 その西川がアルツハイマーに冒されたのが2014年(平成26年)のことだった。ある月刊誌に筆者は次のような原稿を書いた。

『静かに一つの時代が終わろうとしている。

 

「ラストバンカー」と異名を取った辣腕金融マンで、三井住友銀行頭取や日本郵政社長を歴任した西川善文が、アルツハイマー病による認知症に冒された。

 

 1938年(昭和13年)生まれでまだ70代半ばだが、異変のきっかけとなったのは昨年4月、長年連れ添った妻晴子を亡くしたことだった。異様とも思えたのは、その情報を一切外に漏らさなかったことだ。西川が愛してやまなかった古巣、旧住友銀行の多くの関係者さえも後日知らされて慌てふためいたほどだ。

 

 本誌が知るところでは、西川は住友銀行の最前線に立ち続け家庭では苦労をかけた妻を「バンカー西川の妻」ではなく、「西川善文の妻」として見送りたかったという。

 

 異変が起きたのは妻の葬儀を終えたあたりからだったようだ。昨年夏、西川が懇意にしている外資系証券会社の幹部らが彼を囲むゴルフコンペを開催した。長い付き合いでもあり軽口を叩き合えるこの会を西川は愉しみにしていて、毎回欠かさずに顔を出していた。ところが、出席はしたものの、西川は往年の生気がなく、ビールに唇を湿らす程度で早々と姿を消した。弱々しい姿に幹部等はショックを受けたという。(中略)

堕ちたバンカー 國重惇史の告白』(小学館)児玉博著

 國重が住友銀行本体から体よく追い払われ、傘下の証券会社に転出する際、西川は國重を守れなかったことを詫び、そして号泣したという。

 後に國重が楽天に入社すると、当時、三井住友銀行頭取だった西川はあまたの有力取引先からの社外役員要請を断わり、楽天証券の社外取締役だけ受けて國重に報いた。楽天証券役員会には必ず顔を出し、國重や三木谷浩史社長とともに鰻を食べた。愛弟子國重の不名誉な墜落を、今の西川が知ることはもうないだろう。不幸中の幸いとも言えるが、余りに寂しい幕切れではないか』

 國重の不倫騒動が週刊誌に書かれた後に書いたものだ。