平昌五輪の開幕を控えた今年1月中旬、韓国・ソウル中心部にあるホテルの一室に、鼈甲色の眼鏡をかけた大柄な男性がふらっと現れた。黒いハットとロングコート、首元には臙脂色のマフラーを巻き、いかにも紳士然とした雰囲気である。だが、ハットを取ると、あの特徴的なスキンヘッドが露わになった。男性はふいに人懐こい笑顔を浮かべた。
「どうも、許永中です。よろしく」
許永中氏(71)は、バブルの時代を象徴する人物だ。「金融フィクサー」「バブルの怪人」……。あらゆるダークな形容句で語り継がれてきた。
在日韓国人実業家だった許氏の存在が世に知られたきっかけは、1991年のイトマン事件である。約3000億円が闇に消えた戦後最大の経済事件だ。許氏は総合商社イトマンとの絵画取引をめぐる特別背任等の容疑で逮捕された。イトマン事件と1997年の石橋産業事件で実刑判決を受けた許氏は2005年に収監される。2012年には母国での服役を希望し、韓国の刑務所へ移送された。2013年9月に仮釈放となり、翌年9月に刑期満了を迎えた。現在はソウルに住んでいるという。
インタビュアーの黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在客員論説委員に、「これまで動かしたカネはどれくらいになります?」と問われると、「数兆円にはなるでしょうね。ただ、生意気な言い方かもしれへんけど、私はある時期からカネ持ちではなく、精神的なリッチマンになりたかったんです」と述懐した。続けて、「今、あなたが当時の証言を残すことには大きな意味があると思う」と言われた許氏は、次のように語り出した。
「私はホンマに悪い人間です。胸を張って偉そうに物を語れる人間でもありません。でも、私が逮捕された“2つの事件”については言いたいことがあります」
その後10時間にわたって、許氏は語り続けた。貧困に喘いだ幼少期のこと。窃盗や詐欺、殺人にまで手を染めた青年時代のこと。そして、自身が関わったイトマン事件と石橋産業事件について――。
「私にとって『バブル』はつい一週間、一カ月前の出来事みたいです。1991年で私の体内時計は止まっているんですわ」
インタビューの全文は、「文藝春秋」4月号に掲載されている。