きょう12月7日は、フィギュアスケート選手の羽生結弦の誕生日である。1994(平成6)年宮城県生まれの23歳。昨シーズン(2016~17年)は、グランプリ(GP)ファイナルで4連覇、世界選手権では3年ぶり2度目の優勝を果たした。だが、来年2月の平昌五輪に向け、今シーズンを迎えた矢先、NHK杯(11月)の出場前日の練習中に足を負傷し、大会を急遽棄権している。たしかに心配ではある。だが、あらためて振り返れば、羽生のこれまでの活躍は、けがをはじめ数々の試練の上に花開いたものであった。
前回、2014年2月のソチ五輪では、ショートプログラム(SP)で史上初の100点超えとなる101.45点をマーク、フリーでも首位を守り、トータル280.09点で五輪初出場にして金メダルに輝いた。このあと3月のさいたまでの世界選手権でも初優勝を果たす。しかしそこにいたるまでも、けっして平坦な道のりではなかった。
その前シーズンの終盤、2013年3月の世界選手権には、左足を痛めながらも、この大会の順位で日本男子の五輪の出場枠が決まるとあって、エースとしての責任からけがを押して出場、フリーで渾身の演技を見せ、結果4位となり、日本の五輪3枠を勝ち取った。13~14年シーズンに入ると、初戦、2戦目と、世界選手権3連覇中のパトリック・チャン(カナダ)に大差をつけられたが、GPファイナル(13年12月)において、SPで99.84点をたたき出し、フリーとあわせ293.25点で初優勝を果たしている。
このあと、ソチ五輪と世界選手権での初優勝により一躍世界的なスター選手となった羽生だが、その翌シーズン(2014~15年)はさらに多くのアクシデントに見舞われる。シーズン初戦となった中国杯(14年11月)では練習中に他選手と激突し、フリーの演技には頭に包帯を巻いたままのぞんだ。このあとのNHK杯は不調に終わり、悔し涙を飲む。続く12月、20歳初戦となったGPファイナルでは2連覇を達成、さらに日本選手権でも3連覇を決めたものの体調は思わしくなかった。大会後、腹部の手術を受けると、15年1月いっぱいは療養を余儀なくされる。それでも復帰後は調整に努め、3月の世界選手権では銀メダルを獲得した。
「今シーズン、本当にたくさんの事故とかいろいろなことがあった。でもその中ですべてのマイナス要素をプラスに考えて、次はこうしたら良いなということを常に常に考えて来た。それは両親からもらった、この性格のお陰だな」(野口美惠『羽生結弦 王者のメソッド』文春文庫)
試練のシーズンを乗り越えてそう語った羽生なら、今回のけがもきっと克服し、平昌五輪にのぞむに違いない。多くのファンがそう信じていることだろう。