謙虚であれ
「墓は小さくていい。そんなに大きな墓はいらん。オレなんて大した人間じゃない。身の丈に合ったものでいいんだ」
それが、野村が貫いた美学だった。
圧倒的な存在感を放ち、人を遺し、いまも世に影響を与えながら、“終の棲家”は控えめ。「謙虚」というキーワードが頭に浮かんだ。それを伝えると、克則はこう振り返った。
「親父に言われたことがある……。あれはプロに入って、寮に入る前の日でした。自宅で二人きりになったタイミングで、『社会人になるんだから』と親父から話しかけられたんです。『節度を持て。謙虚な気持ちを忘れるな。挨拶はしっかりしろ。人の痛みが分かる人間になれ』と」
そのエピソードを聞いて、参謀役として半世紀に渡って野村に寄り添った松井優典元ヤクルト総合コーチの言葉を思い出した。野村が亡くなった直後、私は松井と顔を合わせた。
悲しみと驚きに見舞われた我々は、ノムさんについて語り合った。あっという間に2時間を過ぎていた。私は最後に質問をした。
「松井さんにとって、改めて野村さんとはどんな人ですか? 一言で表現してください」
虚を突かれた松井は、「一言、か……」と短くうめいたが、すぐ確信に満ちた表情を浮かべた。
「謙虚な人、やったな。そう謙虚。野球に対して学ぼう、知ろう、というその貪欲な姿勢がね。野球というものに畏れの気持ちを持っていた。だから、謙虚に真摯に探究したんやろな」
「野村ノート」を受け継ぐ
克則は今の心境をこう語る。
「うーん、何だろう……まだ実感があんまりないんです……。家に帰ったら、親父がいそうな気がするんですよね」
それは本音だろう。野球界のいたるところに、野村の息吹を感じるのだから。
「親父から受け継いだもので一番大切なものは、“野村ノート”ですね。監督の直筆のもの。コピーしたものは、普段から持ち歩いています。今季、縁があって阪神タイガースに戻ってきました。キャンプ地の(高知県)安芸に来て、色々思い出して……。『捕手篇はどうだったかな』と、野村ノートのページをめくっています。またこれを伝えていかなきゃな、と。目指すのは、“野村監督の考え方をちゃんとつないでいくこと。だって、自分がコーチをしているベース、基礎にあるのは“野村野球”ですから」
命日の2月11日は春季キャンプの真っただ中。今年、ヤクルトはチーム全体で黙とうをささげた。楽天の田中将大投手はコメントを発表した。この日は、自身の活躍や目標を恩師に誓う日でもある。
もうすぐ球春到来。名将が遺した人々は、彼のどんな考えや言葉が頭をよぎるのだろう。