名将、野村克也が亡くなって2年――。2022年2月11日、三回忌を迎えた。父と同じく捕手として球界入りし、父が監督を務めるヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天イーグルスでプレーした息子の克則は、今季から阪神の二軍バッテリーコーチに就いた。
彼にとって野村克也とはどんな存在だったのか?
晩年の野村監督の本音を聞き続け、『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』を著した飯田絵美氏は、克則や妻の有紀子とも親交が深い。そんな彼女が克則に、これまであまり語らなかった父への想いを訊いた――。(全2回の1回目。後編を読む)
どこにいても「真っ向勝負」
克則が最も心に刺さった“親父の言葉”は、楽天で現役選手を引退し、コーチ就任が発表された後に聞かされたものだという。
「そのオフ、自宅にいるときに親父に言われたんです。『教えるのに必要なのは、根気と情熱と愛情。指導者はそれがすべてだ。それがないと、コーチはできねえぞ。特に根気が必要や』。それが一番、心にありますね」
指導者として、選手と真っ向勝負する――。その姿勢を野村はどこにいても貫いた。ヤクルト監督に就任する前、野村は、妻・沙知代がオーナーを務める少年野球のチーム、港東ムースで子どもたちに野球を教えていた。克則もそこに所属していた。
「“親父との思い出”と聞かれてパッと思い出すのは、中学3年の夏の全国大会で負けた時。2戦目、ベスト8入りを賭けて仙台のチームと対戦したんです」
港東ムースは右腕のエースを擁し、初戦を勝ち抜いた。そして2戦目、2番手のサウスポー投手が登板。試合終盤までリードしていた。
「『このまま勝てば、全国大会でベスト8だ』。そんな気持ちが浮かんだとき、相手の4番打者に逆転3ランを打たれた。逆転負け……。負けた後、選手だけでなく父兄の方も、みんなが神宮第二球場のロッカー前に集まりました。大勢の人が集まった目の前で、突然、監督が泣き始めたんです。悔し涙ですよね。
『ワシの采配ミスや。申し訳ない!』。そう言って、選手や父兄に頭を下げていました。親父の行動には、驚きました。他のみんなも驚いて言葉が出てこなかった。難しいんですよ、トーナメントは……。『このまま勝てれば、次の試合に向けてエースを温存できる。いや、そろそろ代えた方がいいか』。親父はずっと考えていたんだと思います。でも交代を告げず、サウスポー投手を引っ張った。そうしたら打たれた……。
親父が泣いているわけですよ。みんなの前で、頭を下げて。選手みんなと一緒になって、ワンワン泣いていた。あの光景を、いまもはっきり覚えています」