昨シーズンは、“野村の門下生”が次々に指導者として花を咲かせた。春は矢野燿大監督の阪神が快進撃を見せ、夏には東京オリンピックで稲葉篤紀が率いる侍ジャパンが金メダル。秋には高津臣吾監督のもとヤクルトがリーグ優勝、そして日本一にも輝いた。冬に入ると、日本ハムに新庄剛志監督が誕生し、話題を呼んだ。

 晩年の野村監督の本音を聞き続け、『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』を著した飯田絵美氏は、克則や妻の有紀子とも親交が深い。そんな彼女が克則に、これまであまり語らなかった父への想いや、“親父”と縁のあった野球人について訊いた。(全2回の2回目。前編を読む)

1980年、史上初の3000試合出場を達成した野村克也

墓に手を合わせる“野村門下生”

 阪神の矢野監督は21年3月26日のヤクルトとの開幕戦を前に、都内の野村の墓を訪れた。

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「僕ら家族に気を遣わせないように、事前の連絡はありませんでした。誰にも言わず一人で行ったそうです。親父の誕生日(6月29日)や三回忌には花を届けてくれます。親父のことを忘れないでいてくれる。人としての在り方を学ばせてもらいました」

 現役時代、矢野はベンチに座る野村監督の脇に、何度も立たされた。控え捕手としてベンチにいた克則が思い出す。

 

「矢野さんは、『キャッチャーとして、野村監督から影響を受けている。これからも、野村監督から教わったことを伝えていく。それが役目だ』と言ってくれました。命日に高津さんも同じことをおっしゃってくださったと新聞記事で読みました。高津さんも日本一になった報告のため、昨年末お墓参りに来てくれました」

家族ぐるみの交流

「選手時代は高津さんとの接点はなかったです。コーチとしてヤクルトに戻った時期(2014年)が一緒で、翌年にはともに一軍コーチとして優勝を経験した。その頃から、家族ぐるみで食事をするようになりました。高津さんの誕生日には、おふくろ(沙知代)からのお祝いメッセージ動画を送ったこともある。おふくろはすっぴんで『高津君、おめでとう。頼むねー』と笑っていました。その2週間後、おふくろは亡くなったんですが……。

 高津さんの魅力は、〈選手ファースト〉であること。めちゃくちゃ優しいし、チームの絆をとても大切にする。選手がやりやすいように指導していました」