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「克則が『野村の息子』という看板を背負って生きていると思うと、辛かった」 野村克則が明かす“親の七光り”と叩かれたとき、克也と沙知代から言われたこと

「克則が『野村の息子』という看板を背負って生きていると思うと、辛かった」 野村克則が明かす“親の七光り”と叩かれたとき、克也と沙知代から言われたこと

野村克則さんインタビュー#2

2022/03/10

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, 働き方, スポーツ

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伝わっていた野球愛

 野村が阪神監督に就任した春、野村と遅い夕食を共にしていた私は尋ねた。「新庄選手ってどんな人なんですか?」すると、野村の頰が緩んだ。

「ハッ! 変わり者だよ。変わっとる。とにかく明るい。で、素直。注目を集めるのが好きなようで、新聞記者を毎日ぎょうさん引き連れて歩いとるよ。野球への取り組み? これがな、真面目なんだ。こちらの話を真剣に聞いておる。理解できているかは分からんがな」と苦笑した。

 やがて、新庄がメジャーリーグへ挑戦すると表明したとき、野村はメディアで厳しい意見を述べた。しかし新庄は、飄々と切り返していた。その理由を、新庄が報道陣に明かした。

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「ワシはおまえのことを悪く言うかもしれん。でもその方がマスコミも飛びつくし、野球界も盛り上がるやろ。おまえもそうしろ」と野村から言われていたというのだ。

 その“作戦”は本当なのか。当時、野村に尋ねると、笑顔でけむに巻かれた。

「ワシ、そんなこと言ったかなあ。新庄の悪口をけっこう言ったけど、そんな風に受け取っているなんて、あいつ、エエやつやな」

 

 新庄が野村邸を訪れたとき、克則は楽天のコーチとして春季キャンプ中だったため、会えなかった。

「オレが『親の七光り』とか阪神ですごい叩かれていたとき、『そんなの気にしなくていいんだよ』と声をかけてくれたんです。

 当時の新庄さんは、毎日、新聞にいろいろ書かれていました。内容はいいことばかりじゃない。悪口だってありました。だから、オレのことを心配してくれたんだと思います。優しい人なんですよ。オレを色々な面で理解してくれていました」

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