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伝わっていた野球愛
野村が阪神監督に就任した春、野村と遅い夕食を共にしていた私は尋ねた。「新庄選手ってどんな人なんですか?」すると、野村の頰が緩んだ。
「ハッ! 変わり者だよ。変わっとる。とにかく明るい。で、素直。注目を集めるのが好きなようで、新聞記者を毎日ぎょうさん引き連れて歩いとるよ。野球への取り組み? これがな、真面目なんだ。こちらの話を真剣に聞いておる。理解できているかは分からんがな」と苦笑した。
やがて、新庄がメジャーリーグへ挑戦すると表明したとき、野村はメディアで厳しい意見を述べた。しかし新庄は、飄々と切り返していた。その理由を、新庄が報道陣に明かした。
「ワシはおまえのことを悪く言うかもしれん。でもその方がマスコミも飛びつくし、野球界も盛り上がるやろ。おまえもそうしろ」と野村から言われていたというのだ。
その“作戦”は本当なのか。当時、野村に尋ねると、笑顔でけむに巻かれた。
「ワシ、そんなこと言ったかなあ。新庄の悪口をけっこう言ったけど、そんな風に受け取っているなんて、あいつ、エエやつやな」
新庄が野村邸を訪れたとき、克則は楽天のコーチとして春季キャンプ中だったため、会えなかった。
「オレが『親の七光り』とか阪神ですごい叩かれていたとき、『そんなの気にしなくていいんだよ』と声をかけてくれたんです。
当時の新庄さんは、毎日、新聞にいろいろ書かれていました。内容はいいことばかりじゃない。悪口だってありました。だから、オレのことを心配してくれたんだと思います。優しい人なんですよ。オレを色々な面で理解してくれていました」